コロナ禍の教育 静岡大・亘理准教授に聞く

2020年5月17日 02時00分 (5月27日 04時42分更新)

◆学校での経験 質変わる

亘理陽一准教授

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、子どもたちは「教育を受ける権利」を制限され、長期間通学できなかった。緊急事態宣言が解除され、学校は徐々に再開されるが、「三密」を避けるため、これまで通りの学校生活は送れない。コロナ禍の教育には何が求められるのか。静岡大・亘理陽一准教授(40)=教育方法学=に聞いた。
 安倍晋三首相の突然の要請で三月から、学校が臨時休校になった。
 陽性者が出ていない県も含めて、全国一律で休校になったのは驚いた。事後に検証が必要だと思っている。判断基準がなく、パニックだったとしても、子どもの学習権をどのように考えているのか。本来であれば、保護者に「休校になって大丈夫ですか」と聞いたり、教育長が実態を把握したりしてから判断するべきだった。「時間的余裕がないから休校にするしかない」という理由が通り、臨時休校の先例をつくったのは将来に禍根を残した。
 「九月入学」への移行も議論されている。
 留学がしやすいとメリットが挙げられているが、留学する余裕のある一部の人にとっての恩恵であって、多くの子どもたちには関係のない話。そもそも今留学はできず、留学を売りにしている大学は困っている。けがをして身体から血が流れている状態にもかかわらず、治ったら何を食べに行くか話しているようなもの。まずは、けがを治しましょうと考えるのが先。危機を好機に変えようと呼び掛け、九月入学を議論するのは恥知らずであきれる。
 今後、徐々に学校が再開される。
 カリキュラムには二通りの意味がある。一つは計画されたカリキュラムで、教育指導要領や大学では年間シラバス(授業計画)。もう一つは、学習で経験する総体を指す。例えば映画観賞は、映画を見るだけでなく、映画館ですすり泣く声を聞いたり、どっと笑ったり、前後に家族とお昼を食べたりと多くの経験がある。学校も同じで、台本のない即興劇のようなもの。子どもも演者になって、子ども同士や先生の反応によって授業や学校生活が展開している。今その経験が失われている。根本的に他者との接触の質が変わった今、学校での経験の質も変わるだろう。
 保護者や教員はどうあるべきか。
 児童や生徒、学生から、これまでにどういう経験が失われ、これからどのようなカリキュラムを提供できるのか、考える必要がある。教育行為を考えるのは大人の責任で、そのためのインフラ整備をするのが教育行政の仕事。あれもしなさい、これもしなさいと現場に指示し、あとは熱意と創意と工夫でというのは、ひどい話だ。
 アリバイづくりのために(夏休みを削減するなどして)計画したカリキュラムをやったふりをするのは、政府の布マスク配布と同じになってしまう。
(聞き手・高橋貴仁)

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