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【石川】「相撲はテレビで観戦 寂しくなる…」 千賀ノ浦親方が協会退職

2021年4月10日 05時00分 (4月10日 10時03分更新)
名古屋場所担当部長として、場所の準備に当たる千賀ノ浦親方(中)=2015年、名古屋市で

名古屋場所担当部長として、場所の準備に当たる千賀ノ浦親方(中)=2015年、名古屋市で

七尾出身 再雇用経て70歳に

 大相撲の千賀ノ浦親方(元関脇舛田山、本名舛田茂、石川県七尾市出身)が十日に七十歳の誕生日を迎え、再雇用の期限となる九日に日本相撲協会を退職した。電話取材に応じた親方は、半世紀近くを過ごした角界を去る節目に「まだぴんとこないけど、本場所に行かずにテレビで相撲を見るようになれば寂しくなるのかな」と感慨深げに語った。
 拓大から春日野部屋に入門し、一九七四年春場所で幕下付け出しデビュー。激しい突っ張りなどを武器に、幕内に四十七場所在位。引退後は二〇〇四年に千賀ノ浦部屋を創設。平成生まれの関取第一号となった舛乃山や関脇隆の勝(入門当時は舛ノ勝)らを育てた。
 協会理事として名古屋場所担当部長も務め、場所前の力士会を繁華街で開催したり、力士の場所入りを会場の正面玄関に変更したりと、名古屋のファンが力士を身近に感じられる施策を実現。六十五歳で定年を迎え、再雇用制度で協会に残り職務に当たっていた。
 角界での生活を振り返り、「自分の相撲史では、何かにつけて名古屋が出てくる。横綱千代の富士さんに勝ったり、名古屋場所の担当を長く務めたり」。千賀ノ浦部屋の師匠としては「新弟子を集めるのが大変だった。今になってみるといい思い出しかない」と懐かしそうに話した。
 今も住む旧千賀ノ浦部屋には立浪部屋が移転することが決まっていて「稽古をいつでも見に行けるのは幸せかな」。今後については「家族で一緒に旅行に行ったりしたい。五十年間、自分勝手なことばかりやってたから、これからは女房とか子ども、孫の言うこと聞いて」と笑っていた。(平松功嗣)

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