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<#不登校> 自己肯定感高める手助け フィリピン拠点に日本人支援

2021年4月8日 05時00分 (4月8日 05時00分更新)
三浦聖子さん、ジェフさん(右後列)の家でホームステイをした三崎奏子さん(前列右から2人目)。左から2人目は翔唯君=フィリピン・セブで(三崎さん提供)

三浦聖子さん、ジェフさん(右後列)の家でホームステイをした三崎奏子さん(前列右から2人目)。左から2人目は翔唯君=フィリピン・セブで(三崎さん提供)

  • 三浦聖子さん、ジェフさん(右後列)の家でホームステイをした三崎奏子さん(前列右から2人目)。左から2人目は翔唯君=フィリピン・セブで(三崎さん提供)
 フィリピン・セブ州のマクタン島を拠点に、同国のスラムに住む子どもと、日本で不登校に悩む子どもの支援に取り組む非政府組織(NGO)がある。代表を務めるのは、不登校の経験から日本福祉大(愛知県美浜町)で福祉と教育を学んだ三浦聖子さん(45)。「子どもが道を切り開くには自己肯定感を高める教育が欠かせない」と活動に力を注ぐ。 (白井春菜)

スラムの子どもと交流

 NGOは「国際協力団体 go(ゴー) share(シェア)」。三浦さんが二〇〇九年に設立した。フィリピンの離島や都市部のスラムの子が学校に通い続けられるよう、食料や生活物資を届け、教育の大切さを住民に伝えている。一三年からは日本の学校教育になじめない子らのホームステイも受け入れ、一九年はボランティア一日体験も含めて約百人が利用した。
 両国で子どもを取り巻く課題には共通点があるという。「貧困や不登校などで自尊心が傷つけられ、自立が阻まれている」と三浦さん。
 そこで、支援活動では両国の子どもが交流する機会を設けている。「日本の子はマナーの良さがお手本になり、フィリピンはへき地の村の子でも英語が話せるなど自分たちの良さに気付く。この自己肯定感が人生を前向きに歩むには大切」
 新型コロナウイルスの感染拡大で渡航が制限される今、オンラインでの異文化交流や情報発信に力を入れる。
 二月下旬、岐阜県多治見市の多治見西高付属中学校であったオンライン講演会。一年生四十二人に三浦さんが「フィリピンには経済的な理由で小学校を辞めざるを得ない子が大勢いる。所得格差を埋めるには教育が不可欠」と説明。現地のスラム出身の男子大学生も登場し、「どの国でも学校生活には大変なことがあると思うけれど、自信を持つことが大切」と呼び掛けた。
 昨年十二月には、愛知教育大で児童福祉を学ぶ学生向けにオンライン授業をした。

「世界広がり夢見つけた」 滞在経験した高校生

 通信制のN高校で学ぶ三崎奏子(かなこ)さん(16)=東京都稲城市=は「go share」でのホームステイを契機に不登校を乗り越えた一人。奉仕体験で国際貢献に興味を抱き、「三浦さんたちのように日本と海外の懸け橋になる」と夢も見つけた。
 中学一年だった二〇一七年六月、持病の起立性調節障害が悪化。頭痛や朝起きられない症状が続き、学校に行けなくなった。先生が訪ねてきたが「周りについていけていない」と疎外感を覚えた。「学校の『みんな一緒に』というやり方は友達とのつながりを深くする。でも通えない間は不安」と横並びの教育に息苦しさを感じた。
 夏休みの七月末、母の提案で家族でマクタン島へ。「go share」の事務所を兼ねる三浦さん家族の家に滞在した。「英語のレッスンを受けたりプールで泳いだり。現地の人たちは陽気で、居心地が良かった」。離島のスラムでごみ拾いボランティアにも参加。「ごみをごみ箱に捨てる習慣がない国もあるんだ」。知らなかった世界を目の当たりにした。
 九月上旬に家族は帰国し、一人だけ延長して十月中旬まで滞在。学校の授業に参加できていないことは気掛かりだったが、「英語を毎日何時間も勉強したし、自分は大丈夫だと思えた」。次第に症状が治まったこともあり、帰国後は学校に通えるようになった。
 翌一八年も九月上旬〜十月中旬に「go share」にホームステイ。中学三年時にはクラス委員になるほど回復した。病気の子に自分の髪の毛を寄付するヘアドネーションや、フリースクールのスタッフとチャリティーイベントを開くなどボランティアにも積極的になった。
 フィリピンでスラムの子やボランティアをする日本人など、いろんな人と話して世界が広がった三崎さん。学校外の活動を充実させるため、N高校を選んだ。「将来は日本と海外をつなぐ仕事をしたい」と夢を語る。

#わたしの体験談 三浦聖子さん(45)

 兵庫県西宮市出身の三浦さんは市内の進学校である県立高校に通っていた1年の時、大学受験を優先する教育方針に疑問を覚え、不登校になった。
 退学して神戸市にあったフリースクールに通い、大学入学資格検定(当時)に合格。オーストラリアでの1年間のワーキングホリデーを経て、「将来は教育分野で社会奉仕をしたい」と21歳で日本福祉大社会福祉学部に入学。不登校の事例や国内外のフリースクールを研究した。
 大学卒業後、国際ボランティア活動をする中で、フィリピンの離島のスラム出身者では初の社会事業家という夫ジェフさん(32)と出会い、結婚。2010年に長男翔唯(かい)君(10)を出産し「父親のルーツを肌で感じてほしい」とフィリピンの離島で育てた。水道や電気などインフラは未整備で、学校は小学校1校のみ。地場産業の漁業を手伝うため約3分の1の児童が途中で通わなくなる。翔唯君の成長とNGO活動の拡大に伴い、マクタン島に移った。
 貧困やいじめ、不登校などは根深い問題だが、枠にとらわれない自身の人生経験から「高い視点から社会を眺めれば、多様性に気付くことができる。それが社会問題の解決への一歩」と力を込める。

 あなたの不登校体験、今どうしているか、世の中や学校にぶつけたい思いを教えてください。
 中日新聞教育報道部 kyoiku@chunichi.co.jp

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