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「最後に会いたかった」 赤崎勇さん死去、教え子ら悼む声

2021年4月3日 05時00分 (4月3日 05時02分更新)
2014年12月、ノーベル賞授賞式前の名城大終身教授の赤崎勇さん(右)と天野浩名古屋大教授=ストックホルムで(共同)

2014年12月、ノーベル賞授賞式前の名城大終身教授の赤崎勇さん(右)と天野浩名古屋大教授=ストックホルムで(共同)

 ノーベル物理学賞受賞者で名城大終身教授の赤崎勇さんの死去が発表された二日、各地の教え子や学生らが追悼の言葉を寄せた。新型コロナウイルス感染症の影響で面会できない状況が続く中での他界。「コロナがなければ、最後にお会いしたかった」と残念がる声も上がった。 (梶山佑、土屋晴康、白名正和)
 名城大(名古屋市)にある赤崎さんの研究室では、教え子の教授三人が恩師の机を囲んだ。竹内哲也教授(53)は「かつて専門家の用語だった『LED(発光ダイオード)』が今、小学生すら知る言葉になった」と功績をたたえた。
 岩谷素顕(もとあき)教授(45)は「研究を諦めようとすると猛烈に怒られた」と懐かしんだ。最後に研究室を訪れたのは昨年秋ごろ。上山(かみやま)智教授(58)は「つえをついていたが、頭の回転の速さは全く健在で、研究について話し合えた。ありがたい時間だった」と振り返った。
 赤崎さんが名古屋大教授だった時に、博士課程の大学院生として研究室に所属した物質・材料研究機構(茨城県)の小出康夫・特命研究員(61)は「研究には厳しい方だった。論文を何度も書き直すよう言われたが、それだけ学生にも時間をかけて、まじめに...

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