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”キックの鬼”沢村忠さん逝く 78歳 真空飛び膝蹴りで大ブーム巻き起こす【山崎照朝コラム】

2021年4月1日 13時59分

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パレードで花束をふってファンに応える沢村忠選手(右端)ら=1970年

パレードで花束をふってファンに応える沢村忠選手(右端)ら=1970年

 真空飛び膝蹴りで一世風靡(ふうび)したキックボクシング界のレジェンド、沢村忠(本名・白羽秀樹)さんが3月26日、肺がんのため亡くなった。78歳だった。
 この訃報に思わず背筋が“ピン”となった。キックボクシングの誕生は、ボクシングのプロモーターだった野口ジムの野口修会長(故人)がタイで見た国技のムエタイにほれこんだのがきっかけ。日本での普及を目指して1966年4月に日本キックボクシング協会を設立。当時、剛柔流空手の有段者で日大芸術学部の学生だった沢村さんに目を付けてスカウトし、キック旋風を巻き起こした。
 野口さんはその立ち上げを前に、極真空手にムエタイとの対戦を持ちかけてタイに派遣し、極真は2勝1敗で帰国した。その後、野口さんは本格的に興行を打ち、私も新宿でデビュー間もない沢村さんの試合を観戦した。キックボクシングは梶原一騎さんの劇画「キックの鬼」がTBSでテレビ放映されると「真空飛び膝蹴り」の荒技が人気を呼びブレイク。テレビ4局が視聴率を競うブームが巻き起こった。
 私もキックを放映した後発のNETテレビ(現・テレビ朝日)で試合に出ていたが、引退後は会社勤めをしていた。その時、昼食で立ち寄った東銀座のそば屋「長寿庵」で偶然、沢村さんと隣席になった。目が合った瞬間、沢村さんだとすぐ分かった。沢村さんも一度外した目を再び私に向け、驚いた表情を浮かべた。その場はあいさつもせず別れたが、今思えば私も日大出身で沢村さんは先輩。私からあいさつに行くべきだったと後悔している。
 昨年5月に日本最古参の目黒ジムを継ぐ藤本ジムの藤本勲会長が肺炎により78歳で他界した。その直前、「俺より沢村さんの方が重症なんだよ」と話すのを聞いて心配していた。くしくも同じ歳での逝去となってしまった。
 沢村さんの試合を見て憧れ、18歳で目黒ジムに入門。沢村さんの「付き人」からキックボクサーになった元WKBA世界ウエルター級王者で現・新日本キックボクシング協会代表の伊原信一さんも「寂しいですね。人生で星がどんどん亡くなっていくが、大きな星が亡くなった。残念です」と悔やんだ。本当に残念でならない。
 沢村さんの最終戦績は241戦232勝(228KO)5敗4分けだった。合掌。

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