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魂を込めた410球…中京大中京の畔柳「チームを勝たせたかった」最大の敵は球数ではなく疲労だった【センバツ】

2021年3月31日 19時41分

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明豊―中京大中京 4回表、5点を失った柴田(左)と投手交代する畔柳

明豊―中京大中京 4回表、5点を失った柴田(左)と投手交代する畔柳

◇31日 センバツ高校野球準決勝 明豊5―4中京大中京(甲子園)
 準々決勝までの3試合で計379球。球数制限の前に、中京大中京の畔柳亨丞投手(3年)の右腕は限界を迎えていた。「チームを勝たせたい一心で投げていたけど、途中降板して申し訳ない」。最速151キロの背番号1が責任を背負い込んだ。
 「1週間で500球」の球数制限まで、残り121球で迎えた準決勝。最大の敵はクローズアップされた球数ではなく、疲労だった。高橋源一郎監督(41)は「(先発で)いければいかせた。疲労が残っていたので、1試合投げきるのは難しいと判断した」と畔柳ではなく、左腕の柴田をマウンドに送った。畔柳を6回から登板させる計画を立てていたが、柴田が4回1死満塁のピンチを迎えたところで、畔柳に準備を指示。だが、エースはブルペンで投げ始めると、すぐに異変を感じた。
 「思ったよりも疲労が抜けてなくて、肘が重くて力が入らない状態だった」。畔柳が肩を作る間に、柴田が5失点。高橋監督は「こういう状況も考えていたが、一気に連打でつながれた」と継投のタイミングを悔やむように振り返った。
 畔柳は打者7人から5奪三振の快投。だが、捕手が捕れないほど大きく外れたり、ホームベースの手前でバウンドすることもあった。6回は三者連続三振に仕留めながら「右腕に力が入らなくて、やばいと思った」。直後の攻撃で代打を送られ、最後はわずか31球で畔柳の春が終わった。ただ、1回戦から3試合連続で先発して2完封。魂を込めた計410球の熱投が色あせることはない。
 小学6年だった2015年の夏、父・貴宏さん(49)と甲子園球場を訪れた。目を奪われたのは東海大相模の小笠原慎之介(現中日)。畔柳の現在の自己最速と同じ151キロをマークし「甲子園がどよめいたのを覚えている」。この日、畔柳が登板すると、観客は大きな拍手で迎えた。日本一には届かなかったが、甲子園のスターとして認められた証しだ。
 「一人で投げきるという思いで練習だったり、投げ込みを多くしていかないと。もっとタフさをつけて夏に戻ってきたい」。目を向けたのは最後の夏。次こそ頂点へ駆け上がる。

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