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茶会で交流、新地町の復興見届ける 清水区の大石さん

2021年3月24日 05時00分 (3月24日 05時03分更新)
静岡茶を飲みながら交流する避難者ら=2012年5月、福島県新地町で(大石学さん提供)

静岡茶を飲みながら交流する避難者ら=2012年5月、福島県新地町で(大石学さん提供)

  • 静岡茶を飲みながら交流する避難者ら=2012年5月、福島県新地町で(大石学さん提供)
  • 竹灯籠をつくり、「新地町に寄り添いたい」と話す大石さん=静岡市清水区で
 二十年ほど前、清水災害ボランティアネットワークを立ち上げ、全国各地の被災地で支援活動を続けています。東日本大震災以降、福島県新地町に足しげく通っています。十年にわたる支援は初めて。今では、遠くの親戚に会いに行くような思いです。
 新地町は宮城県との県境にある人口八千人ほどの小さな港町です。東日本大震災では、九メートル以上の津波が町を襲い、面積の20%が浸水。約百二十人が犠牲になりました。
 初めて町を訪れたのは震災から二カ月後。ボランティア仲間に呼ばれて応援に行きました。
 海岸線はがれきで埋まり、視界をさえぎるものはありませんでした。住宅街ごと全てをのみ込んだ津波の痕跡を見て、私は「この地の復興を見届ける」と心に誓いました。
 支援活動で心掛けたのは、被災者同士の交流のきっかけづくり。新地町では、元々のつながりを大切にしようと、居住地ごとに避難所が分かれていました。でも住民同士の会話は少なく、暗い雰囲気でした。
 私たちは静岡茶を差し入れて、茶会を開きました。みなさん、冷めたものばかり口にしていたので温かい飲み物は大変喜んでいただけました。震災直後の五月は皆、集会室の壁際に散らばっていましたが、回数を重ねるごとに、部屋の真ん中で輪を作るように。会話も弾むようになりました。
 問題もありました。福島第一原発近くの大熊、双葉町などからの避難者は東京電力から賠償金を受け取っていて、ねたまれていました。放射能への危機感から町を離れるか、とどまるか。方向性の違いで悩む夫婦に寄り添い、離婚まで相談に乗り続けたこともあります。
 新型コロナウイルスの感染が拡大した昨年三月から新地町への訪問は控えています。いまだ感染者が出ていない町にコロナを持ち込むわけにはいきません。
 でも本当はこういう時こそ寄り添いたい。震災から十年たちましたが、復興には程遠いと思います。被災地の親しい方々は「忘れられるのが一番怖い」と言います。少しでも寄り添う気持ちを届けたい。十一日には復興への祈りを込め、竹灯籠を贈りました。(取材・牧野新)

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