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米での死闘制して、世界的注目を浴びた中谷正義 ロマチェンコとの対決浮上「うまいけど、怖さない」【ボクシング】

2021年3月16日 06時00分

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ミットに右ストレートを放つ中谷正義(右)

ミットに右ストレートを放つ中谷正義(右)

 昨年末に米国で名を上げた30歳が今年、さらにステップアップする。ライト級の元東洋太平洋王者にして、WBO5位、WBC7位、IBF10位につける中谷正義(32)=帝拳。昨年12月に米ラスベガスで大逆転勝ちし、全米ボクシング記者協会の年間最高試合賞候補にも入った。次戦では昨秋まで全階級最強ランキング「パウンド・フォー・パウンド(PFP)」の首位を争った前3団体統一ライト級王者ワシル・ロマチェンコ(33)=ウクライナ=と対戦するプランも浮上。世界的な激戦階級のトップランナーとなっている。
 海外ボクシング界に、中谷正義の名を刻み込む試合だった。昨年12月、ボクシングの“聖地”MGMグランドで開催されたWBOインターコンチネンタル(日本非公認)ライト級王座決定戦。対戦相手ベルデホ(プエルトリコ)は2012年ロンドン五輪ベスト8で、IBF5位。ここを勝てば世界戦というレールが敷かれるスター候補だ。
 中谷はその相手に初回、4回と痛烈なダウンを奪われる。だが、そのたびに立ち上がり攻め返した。7回、右強打を効かせて流れを変えると、逆に痛打を食う場面もありながら主導権を譲らず、ついに9回、2度倒して大逆転勝ちしたのだ。
 激戦は日本で年間最高試合(世界戦以外)に選ばれたほか、米国でも全米ボクシング記者協会の年間最高試合候補になった。海外メディアの評価も高く、文字通り世界にその名がとどろいた。
 だが、中谷は不満げだ。「逆転なんてしたくないですよ。圧倒して勝ちたいし、圧倒できると思っていた。ただ、引退から復帰して、ジム移籍して初戦で、人生懸かった試合だったので、勝ったことは良かったです」と苦笑いした。
 井岡ジムに所属し、東洋太平洋王座を11度も防衛した末の19年7月、米メリーランド州で若きスターのテオフィモ・ロペス(米国)と対戦し激戦の末に判定負け。同年9月に引退を表明していた。ライト級で上へ行くためには海外での勝利が必須だが、当時の環境では限界があると感じたためだった。
 だが、近大の先輩でWBAミドル級王者・村田諒太の後援会会長も務める近藤太郎さん、元WBAスーパーウエルター級暫定王者・石田順裕さんらのサポートで気持ちが動く。村田本人の力添えもあり、海外での試合に強い帝拳ジムに移籍しての現役復帰を決めた。
 「村田さんはほんまにすごい人やと思いました。現役選手なのに、大して付き合いもない僕のために動いてくれて」と中谷。周囲の助けを実感する中で勝利をつかんだことは大きかった。
 劇的勝利で、未来は大きく広がった。元世界3階級制覇ロマチェンコとのビッグマッチだ。昨秋ロペスに判定負けして王座を失ったが、北京、ロンドンの五輪2大会連続金メダリストは今もスーパースターだ。
 「やりたいです。うまいけど、怖さはない。ライト級はどのみち(世界トップ級の)誰とやってもしんどい。なら、絶対に強いとわかっているやつがいい。勝てると思ってます」と中谷は断言した。まだ交渉中で、試合が成立するかは不透明。ただ、ロマチェンコはすでにSNSで自らと中谷の写真を並べ、「どうだい?」とファンに問い掛け機運をあおっている。
 ロマチェンコ戦が実現すれば、日本人中量級史上屈指の好カード。ラスベガスで大逆転した中谷は、次の高いハードルにも闘志を燃やして頂点への道を歩んでいく。
 ▼中谷正義(なかたに・まさよし) 1989(平成元)年3月8日生まれ、大阪市淀川区出身の32歳。身長182センチ。大阪市立東三国中でボクシングを始め、興国高では同学年の現WBOスーパーフライ級王者・井岡一翔(Ambition)らと高校総体団体優勝。近大卒業後に井岡ジムでプロ入りし、2011年6月プロデビュー、14年1月に東洋太平洋ライト級王座獲得。19年9月に引退を表明したが、20年12月に帝拳ジムへ移籍し、現役復帰した。自他共に認めるゲーム好きでドラゴンボール・レジェンズでは1000位以内に入ったことも。通算19勝(13KO)1敗、右ボクサーファイター。

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