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「Dr.コトー」の作者・山田貴敏さん被災地で知った「漫画の力」10年の節目に限らず「元の生活が戻るまで応援」

2021年3月12日 05時00分

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ポスター贈呈に岩手県庁を訪問した(左から)細野不二彦さん、山田貴敏さん、達増拓也知事、藤沢とおるさん、藤田和日郎さん=2011年11月、盛岡市で

ポスター贈呈に岩手県庁を訪問した(左から)細野不二彦さん、山田貴敏さん、達増拓也知事、藤沢とおるさん、藤田和日郎さん=2011年11月、盛岡市で

漫画「Dr.コトー診療所」で知られる漫画家山田貴敏さん(62)ら著名漫画家14人が東日本大震災の被災地3県の小中・高校など2500校にキャラクターと児童・生徒たちを応援するメッセージを記したポスターを東京中日スポーツが制作、2011年11月に現地に発送した。それ以降も「漫画の力」を信じた山田さんらは被災地に足を運び、交流を続けてきた。山田さんは11日、本紙の電話取材に応じ、「10年の節目に限らず、元の生活が戻るまで応援を続ける。(被災地の)子どもたちと約束したんです」とあらためて誓った。
 漫画のキャラクターに作者らしい応援メッセージを乗せ、被災地に届けたいとの思いから、震災直後から山田さんは動きだし、本紙も協力し、ポスター計画を進めた。
 山田さんは「最初、(『うる星やつら』の)高橋留美子さんに声をかけ、被災地を応援するので描いてほしいと告げたところ、『いつまでに』と聞かれたので『あした』と言ったらびっくりされた。ほかの漫画家も締め切りを告げ、遅れそうな人には催促しまくった。原稿を待つ編集部の人の気持ちが分かりましたよ」ととりまとめた当時を振り返る。
 ポスターに賛同してくれた漫画家は、高橋さんのほか、藤田和日郎さん、細野不二彦さん、藤沢とおるさん、青山剛昌さん、曽田正人さん、河合克敏さん、黒丸さん、荒川弘さん、北見けんいちさん、浦沢直樹さん、村上もとかさん、吉崎観音さんとそうそうたる面々だ。
 「当時、学校に届いたポスターの反響もすぐにあった。ラジオに出演したとき、『ポスターありがとうございました。息子が(青山さんの)コナンが応援してくれてるよと感激しています』とのファクスがスタジオに届いたこともあった。Dr.コトーじゃなかったけど」
 毎年機会を見つけては岩手県内の児童館などに赴いて子どもたちと交流を重ねてきた。「恒例になったのか、到着すると『お帰り、先生』と書かれた手づくりの横断幕があったり」と話すが、過酷な現実にも何度も直面した。
 「長い避難所暮らしで不自由な生活、仮設住宅も厳冬期になれば、室内でもダウンジャケットが必要で、息も白い。被災地のにおい、空気はなかなか伝わらないと痛感した」とも。
 ある児童館での出来事は忘れられないという。
 「小学校と中学校の女の子が暗い表情で泥だらけの写真を大事に持っていた。震災前の貴重な思い出の一枚か。2人に色紙に漫画を描いてプレゼントしたら笑顔になり、色紙を抱き締めてくれた。漫画が描けるのが役立った。漫画の力があって良かったと心底思った」
 帰り際、その2人の少女が山田さんを追っかけてきた。「危ないよ」と声をかけてもついてきた。2人は「また来てね」と話し、山田さんは「約束したよ。また来るから」と応えた。「2人も成長してるんだろうな。今度会ったら化粧とかしてたり。コロナ禍が終息したら、また被災地に行くつもり。約束だから」。
 ポスターは11年11月、学校への発送と同時に山田さん、藤沢さん、細野さん、藤田さんが漫画に造詣が深く、コミック監修にも加わるほどの岩手県の達増拓也知事を訪ね贈呈した。ポスターには「ずっと応援します!!」のキャッチコピーがあしらわれていた。
 山田さんは「10年といってもまだまだ。風評被害も残っているといい、震災前の生活を取り戻せるまで、できることを続けたい」と力を込めた。
 岩手県庁の担当者によると、知事室には贈られたポスターが飾られていたが、現在はなく、10年という年月を感じさせた。
 ▼山田貴敏(やまだ・たかとし) 1959(昭和34)年3月4日生まれ、岐阜市出身。中央大在学中から漫画を描き始め、「マシューズ―心の叫び―」で講談社新人漫画賞に入選してデビュー。2000年から「週刊ヤングサンデー」で連載が始まった「Dr.コトー診療所」は単行本の累計売り上げ部数が1000万部を超える大ヒットを記録し、フジテレビ系でドラマ化された。16年には初の舞台作品「W」も上演。プロ野球中日ドラゴンズのファン。

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