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被災各地に交流施設「みんなの家」建設 建築家・伊東豊雄さんに聞く

2021年3月12日 05時00分 (3月12日 05時00分更新)
伊東豊雄(いとう・とよお)さん 1941年生まれ。長野県下諏訪町で育つ。東京大工学部卒業後、菊竹清訓さん(1928〜2011年)の事務所をへて独立。2013年に「建築のノーベル賞」といわれるプリツカー賞に輝いた。主な作品に「みんなの森ぎふメディアコスモス」(岐阜市)など。

伊東豊雄(いとう・とよお)さん 1941年生まれ。長野県下諏訪町で育つ。東京大工学部卒業後、菊竹清訓さん(1928〜2011年)の事務所をへて独立。2013年に「建築のノーベル賞」といわれるプリツカー賞に輝いた。主な作品に「みんなの森ぎふメディアコスモス」(岐阜市)など。

  • 伊東豊雄(いとう・とよお)さん 1941年生まれ。長野県下諏訪町で育つ。東京大工学部卒業後、菊竹清訓さん(1928〜2011年)の事務所をへて独立。2013年に「建築のノーベル賞」といわれるプリツカー賞に輝いた。主な作品に「みんなの森ぎふメディアコスモス」(岐阜市)など。
  • 伊東豊雄さんが設計した最初の「みんなの家」が完成し、芋煮会に集まった住民たち=2011年10月26日、仙台市宮城野区で
 世界的建築家の伊東豊雄さん(79)は、東日本大震災後、東北の仮設住宅に暮らす被災者がくつろぎ、交流できる施設「みんなの家」を造るプロジェクトを進めてきた。10年前、壊滅的な被害を前に「建築家として何が可能なのか」と、自身に問いかけ、被災地に必要な建物を考えたという。当時を振り返りながら、復興への思いや、今後の建築のあり方を語ってもらった。
  (聞き手・宮崎正嗣)
 −地震発生から一カ月もたたず被災地に入った。
 当初は自分が手がけた文化施設「せんだいメディアテーク」(仙台市)が被災し、一日も早く再開させたいと、現地に行きました。
 やがて津波の被害にあった地域にも足を延ばしました。仮設住宅を見ると、都会の団地を小さくしたような、非常に狭くて閉鎖的な空間が並んでいる。集会所も、人が集まってリラックスできる場所にはなっていなかった。木造の小さな小屋でもいい。食事ができ、暖のとれる場所を作ったらどうかと「みんなの家」を思いついたんです。
 −第一号は、震災から約半年の二〇一一年十月、同市宮城野区の仮設住宅団地に完成した。
 当時、建築を通してまちづくりを考える熊本県の事業に関わっていました。その縁で...

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