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母子で自主避難、続く葛藤 夫と別居「これで良かったのか」

2021年3月11日 05時00分 (3月11日 05時01分更新)
追悼行事で使うろうそくの説明をする高木久美子さん(右)=9日、京都市で

追悼行事で使うろうそくの説明をする高木久美子さん(右)=9日、京都市で

 2011年の東京電力福島第一原発事故で避難指示区域外から各地に移り住んだ自主避難者の中には、子どもの放射線被ばくを恐れ、夫と別居した母親が少なくない。「これで良かったのか」。生活基盤は弱く、葛藤の日々を過ごしてきた。
 京都市伏見区の団体職員高木久美子さん(54)は一二年、小学生だった娘二人と福島県いわき市から身を寄せた。今月九日は伏見区の施設で、自ら設立した交流団体の人たちに、毎年続けてきた十一日の追悼行事で使うろうそくの説明をしていた。
 その後の夕食時、娘二人に「十年間ママとずっと一緒にいて、守ってくれてありがとう」と伝えた。二人は「私たちがママに守られてきたんだよ」と笑っていた。
 秋田県生まれで、一九九八年の結婚を機にいわき市に。バラに彩られ、野菜が実る自宅で感じていたささやかな幸せは、原発事故で失われた。拭い去れない放射線への不安。一家で福島から離れようと提案したが、夫らは反対した。
 避難や被ばくを巡る考えの違いを埋められず、一三年に離婚。次女は体調を崩すことが増えた。一番守りたかったのは子どもなのに。自分の選択が影響したのか…。一六年、久しぶりに電話した元夫に泣きながら伝えると、返ってきたのは「避難は間違ってなかったと思う」。予期せぬ言葉が心の支えになった。
 長女は幼稚園教諭になり、次女は今春、美容系の専門学校に入学する。高木さんは仕事の専門性を高めるため、福祉の資格を取るという目標ができた。十日、いつものように出勤した。「十年だから、どうということはない。毎日福島のことを考え続けてきた」
 福島県の山あいの町に住んでいた五十代女性は、夫と離れ、小学生だった息子を連れて東京都に避難した。二重生活は金銭的に厳しい。一七年の住宅無償提供打ち切りで追い込まれたが、今も都内で暮らす。親戚からは「いつまでこんなことしてるの」と責められ続けた。
 福島では、大きな一軒家に四世代で住み、穏やかな日々を送っていた。「人生の貴重な十年間がなくなった。事故さえなければ家族一緒に過ごせたのに」と悔しがった。
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