<リニアで変わる街の記憶>(5)飯田市上郷・北条地区 男性(80)
2021年3月6日 05時00分 (3月6日 14時56分更新)
五百年前から北条地区に続く家を代々継いできました。自然災害に見舞われて地区内で二度移転し、今の家は百四十年前から。自宅や所有している土地、農地が、リニア中央新幹線の本線や駅周辺整備区域に当たっています。
五歳のときに父が戦争で亡くなり、母が女手一つで育ててくれた。なんとか行けた高校で柔道部に入り、就職してからも子どもたちに柔道を教えた。教え子が教員や医者になって活躍しているのが心の糧だな。今は妻と息子、娘と四人暮らしです。
うちでは市田柿を出荷しており、樹齢五十年以上の柿の木が約八十本もある。市田柿は最近、海外にも販売ルートができているので、できるだけ続けたい。市内や町村部を探してみたが、今と同じ広さの移転先は見つかりません。
リニアの駅がなぜここに決まったのか、JRも市もちゃんと説明できていない。どいてもいいかなと思える雰囲気じゃない。
静岡の問題や、全国の新幹線の駅でも泣いているところがある。開業が十年遅れてもまかなえる財政的な余力が飯田市にあるのかも分からない。皆が納得できるものならいいが、リニアは不安定要素が大きい。
家はただ寝て起きる場所ではない。明日に向けてエネルギーを蓄...
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