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<教訓をつなぐ> (2)学校防災 子どもの命を最優先

2021年2月23日 05時00分 (2月23日 05時01分更新)
災害対策として、校舎内の上履き(上段)もスニーカーを使用する児童=三重県御浜町の阿田和小で

災害対策として、校舎内の上履き(上段)もスニーカーを使用する児童=三重県御浜町の阿田和小で

  • 災害対策として、校舎内の上履き(上段)もスニーカーを使用する児童=三重県御浜町の阿田和小で
 熊野灘に面する三重県御浜町。海から直線で四百メートルの場所に位置する阿田和(あたわ)小のげた箱には、スニーカーが目立つ。小学校の上履きといえば、白い布製のものが定番だが、校内でも走りやすさを優先する児童が少なくない。教職員もサンダルは履いていない。
 近い将来起きるとされる南海トラフ巨大地震の被害想定では、津波の第一波到達までの時間は、十分ほどしかない。避難場所は九百メートル先の高台にある紀南病院。例年だと年三回行われる訓練では、教頭がストップウオッチで、学校から病院までの時間を計る。
 校長の竹本和拡さん(56)は「高台に逃げる意識を持つ児童を育てることが大切。取り返しがつかないので責任は大きい」と気を引き締める。
 東日本大震災では六百人以上の児童や生徒、教職員が亡くなった。大半が保護者への引き渡し後など学校ではない場所で被災したが、宮城県石巻市の大川小(閉校)では、児童七十四人、教職員十人の計八十四人が犠牲になった。
 小学校に津波が到達するまでの五十分余。広報車が高台への避難を呼び掛けながら近くを通過し、児童からは「山に逃げよう」との声も上がったが、校庭にとどまった。実際に避難のために動いたのは、津波にのまれるまでの一、二分。すぐ近くの裏山には逃げず、津波が迫る川の橋のたもとにある三角地帯へ向かった。
 「簡単に救えた命だった。救ってほしかった」。大川小の六年生だった次女みずほさん=当時(12)=を亡くした佐藤敏郎さん(57)は話す。
 自らも当時、隣町の中学校の教師だったが、震災の四年後に辞めた。今は、大川小で何があったのかを伝えようと、語り部の活動に力を入れる。コロナ禍の昨年以降、思うように活動できないが、一昨年は全国の一万五千人を案内した。
 南海トラフで津波被害が想定される三重県志摩市の市教委指導主事の高岸三枝さん(55)も、佐藤さんの話を聞いた一人。昨年八月に私費で視察研修に参加し、「それぞれの学校の状況や地理的条件から、異なるリスクを把握することが大切だ」との思いを強くした。
 佐藤さんが訴え続けているのは、本当の意味での学校防災だ。
 大川小の悲劇から、全国の学校で危機管理マニュアルの見直しや防災対策は進んできた。だが、元教師だけに強く感じることがある。
 「提出や報告を目的にした『形だけ』になってはいないか。子どもの命を守るためには、子どもを中心に置いて考えるべきだ」

マニュアル見直し要求66% 中部6県全238市町村

 大川小の児童二十三人の遺族が石巻市と宮城県に損害賠償を求めた訴訟は二〇一九年十月、市と県に十四億円余の賠償を命じた判決が最高裁で確定した。同小の危機管理マニュアルの不備や学校側の組織的な過失を認定し、震災前の事前防災の必要性に言及した。これを受け、文部科学省は全国の学校に実践的な防災教育の実施や危機管理マニュアルの作成を求める通知を出した。
 本紙の中部六県全二百三十八市町村アンケートで、教育委員会として「危機管理マニュアルの見直しを学校に求めたか」と尋ねたところ、百五十六自治体(66%)が「求めた」と回答。うち百十九自治体が「見直し後のマニュアルを点検した」、二十四自治体が「点検予定」と答えた。
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