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1988年のキャンプ…中日・立浪はいつも右翼席にいた小学生にボールを投げた そこから始まった福留との運命

2021年2月21日 11時05分

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福留(右)に打撃指導する立浪臨時コーチ

福留(右)に打撃指導する立浪臨時コーチ

◇渋谷真コラム・龍の背に乗って「キャンプ編」
 臨時コーチ最終日の立浪和義さんと、北谷合流初日の福留が、ようやく共演した。2人の野球人生の最初の接点は1988年春。当時の中日は宮崎県の串間市でキャンプを張っていた。甲子園春夏連覇したPL学園の主将、立浪はドラフト1位で入団。左打者の打球が飛ぶ右翼席に、いつ見ても同じ少年がいた。
 「僕、小学校4年生だったと思います。最後にはボールを投げてくれたんです。それが立浪さんでした」
 福留の故郷は鹿児島県大崎町。県境を挟み、串間までは20キロ余りだ。立浪さんはその少年のことを覚えていないが、数年後の串間での再会は覚えている。中学生になった福留は、その名を知られる野球選手になっていた。熱心に勧誘してくれたPL学園の関係者が、立浪さんとの食事をセッティングしてくれた。「僕、確かバットをプレゼントしたんですよね」。名門の主将で遊撃手。甲子園に出てスターの道を追った。
 今季の福留はかつての立浪さんが歩んだように、代打の切り札として期待されている。しかし、昨季の代打成績は19打数2安打、1割5厘に終わっている。
 「4打席でやっている感覚が抜けきらないままでした。それまでの配球の流れがないから、初球から決めていくにしても『どっちだ?』って」
 実は現役末期の立浪さんも苦しんだ。2006年に3割2分1厘、07年が3割7厘だった代打打率が、08年は2割5厘に落ち込んだ。
 「開幕から打てなかったら、レギュラーだと固め打ちで取り返せますけど、代打だとそうもいかない。それでズルズルと…。でもレギュラーやっていた人の方が、代打は絶対有利です。いや、今の孝介の打撃ならスタメンだってあるんじゃないですか?」
 翌09年には2割9分にV字回復させ、現役生活を終えた。やられっぱなしでは終わらない。それがPLの魂。立浪の道を福留が追う。その運命は33年前から始まっているのだ。
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