<EYES> 教育哲学者 苫野一徳さん 「孤立化」ない「個別化」を

2020年5月14日 02時00分 (5月27日 03時52分更新)
 新型コロナウイルスによる危機のなか、学校は今、そのあり方に大きな見直しを余儀なくされている。約150年続いてきた公教育の歴史の中で、最大の転換期となる可能性さえあるかもしれない。
 これまで公教育は、すべての子どもを学校に集めることで、教育機会の均等を保障しようとしてきた。しかし、今やその枠組み自体を見直さねばならない。何と言っても、子どもたちをひと所に集めることが困難な状況なのだ。
 その一方で、子どもたちは、家でも勉強できる子、虐待に苦しんでいる子、貧困家庭の子など、あまりに多様だ。もし今後も多くの学校が休校を続けなければならないとしたなら、それぞれの状況に応じて多様な選択肢を整えていくことが、最善の道になるだろう。
 たとえば、どうしても学校に行く必要がある子、行った方がいい子は、分散登校によって密閉、密集、密接を回避する。オンラインが可能な場合や、家庭で面倒を見られる場合は家庭で、など、多様な学びのあり方を認めるのだ。
 実は以前から「学びの個別化」は世界的な潮流だった。いわゆる「落ちこぼれ」や同調圧力、いじめ等の問題が生じてしまう最大の要因は、学校における「みんな一緒」のシステムにこそあるからだ。ただし「個別化」は「孤立化」であってはならない。必要に応じて、人に力を貸したり借りられたりする「ゆるやかな協同性」に必ず支えられる必要がある。
 そんな「ゆるやかな協同性」は、学校外にも広がっていく必要がある。これまで学校が一手に引き受けてきた機能を、社会全体でもっと下支えしていくのだ。地域、福祉、民間等、学校外のさまざまなアクターが協力して、すべての子どもの安全と学習権を保障する。そんな、新しい公教育のあり方が求められている。

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