<個人の自由>後編 制限の線引き “物差し”は

2020年4月12日 02時00分 (5月27日 03時52分更新)
 今月のテーマは「個人の自由」です。前編では、今月から香川県で施行されたネット・ゲーム依存症対策条例や喫煙規制などを例に、自由への介入について考えました。どんな場合に介入は許されうるのか、そもそも自由とは-。専門家の意見を聞きながら考えます。

◆南山大社会倫理研究所教授 奥田太郎さん 社会的な視点が必要

 自由主義には「個人の自由を規制できるのは、その行為が他人に危害を及ぼす場合に限る」という他者危害原則と、「たとえ本人に良くないことが起こりうる行為でも、自分の意思で、他人に危害を与えないなら、その自由は認める」という愚行権の原則があります。
 愚行権の場合にも、その自由をどこまで社会的に許容するのか議論が必要です。ここで大切なのは危険性について本人に十分な情報が与えられ、自分の意思で決めたかどうか。例えば喫煙はどうでしょうか。依存症が原因の場合、その行為は本人の自由な意思で決めたと言えるかなどが論点となります。
 十九世紀のイギリスの哲学者J・S・ミルは、教育と保護のためなら未成年の自由は制限されうると論じました。ただし、介入が本人の利益になるという点が重要です。例えば校則の中には誰の何を保護しようとしているのかがはっきりしないものもありそうです。
 一方、環境問題など他者危害や愚行権の考え方だけでは乗り切れない問題も生じています。その場合には「現在の世代は未来世代への責任を負う」とする考え方など、別の観点で個人の自由を見直すことも必要だと論じられています。

◆京都大大学院人間・環境学研究科教授 那須耕介さん 時代の価値観で変化

 「自由」とは、昔は「強制されないこと」「選択できること」でした。今は「便利であること」「お膳立てされたレールの上をすいすいと進めること」に力点が置かれているようです。
 情報量が爆発的に増え、社会も複雑化する中、昔ながらの自由は恩恵より、むしろ重荷と感じられています。「選択肢が多いと選ぶのが面倒」と。自由に伴う責任を「自己責任」と呼び、身に覚えのない負担まで背負わせるようになった社会の影響もあるでしょう。
 昔はわがままな王様が勝手なルールを強制してきたが、今は親切な政府が至れり尽くせりのルールを作り、面倒を見てくれる。少し窮屈でも、レールに乗った方が楽だ-。そう思う人は少なくないように感じます。
 ただ、その行き着く先は、レールに乗れない人、例えば駅の自動改札機の操作に手間取るお年寄りを「邪魔だ」と排除するなんてことにならないでしょうか。
 自由の意味は時代の価値観や社会のあり方を反映して変わるものです。ひとつに固まると矛盾が生じて行き詰まり、立ち止まって「別の考え方が必要だ」となる時が来るはずです。今はそのブレーキがかかりにくくなっている気がします。

◆記者はこう考えた

 自由に介入するそのルール、なんかおかしいと感じるけど、うまく言葉にできない-。もどかしさを何とかできないかと取材を始めた。誰もが好き放題に行動すれば、社会は成り立たないのも確か。南山大の奥田さんに他者危害原則などの物差しを教わり、京都大大学院の那須さんの話から「これからの自由」を展望できた。
 今、新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言が出て、外出自粛などが要請されている。自由への介入の問題として、どう捉えればいいか、考えてみてはどうだろう。(河原広明)

◆来月のテーマは…スポーツと用具の進化

 用具の進化がアスリートの記録を後押しする時代。スポーツをする目的を考えます。

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