<スポーツと用具の進化>後編 記録以外の目的とは

2020年5月10日 02時00分 (5月27日 03時52分更新)
 今月のテーマは「スポーツと用具の進化」です。前編では、厚底シューズや高速水着が記録更新を後押ししてきたという議論について考えました。後編では専門家の意見を聞きながら、「スポーツをするのは何のため?」という問いと向き合います。

◆立命館大産業社会学部教授 市井吉興さん 見て、やって、面白く 

 厚底シューズの議論に接し、「またか」という感覚です。昔は誰が勝ったかが重視されていましたが、商業化が進んだ近代スポーツでは、コンマ何秒、何ミリでも記録を塗り替えることに価値が置かれる「記録至上主義」に拍車が掛かっています。
 そのため、用具の開発競争も激しくなり、用具の性能によって、競技者の能力を超えた記録が出てしまう事例も起こります。かつて、棒高跳びのポールや水着の素材が進化して、常に記録が塗り替えられた時期がありました。それゆえに、競技の平等性を担保するためには用具への規制が求められます。しかし規制の前に生まれた記録にはモヤモヤしたものが残ります。
 スポーツは一部のトップアスリートだけのものではありません。する、見る、支える、という三つの関わり方があるなか、多くの愛好家にとって、スポーツをする意味は何でしょうか。私のゼミでは学生に新しいスポーツを考案させていますが、「まず自分たちがやって面白いかどうか」を大切にしています。
 また、スポーツには自己表現という側面もあり、何をやるか、どの道具を選ぶかも人それぞれでいい。それを見る側が「見る力」を高めることで、記録以外の価値にも気づけるのではないでしょうか。

◆元競泳選手五輪メダリスト 松田丈志さん ルール整えフェアに 

 アスリートの価値は、トップレベルになればなるほど、強いかどうかにあります。人に喜んでもらったり、感動が生まれたり、スポンサーがついたりするのも結果次第なので、より結果が出る用具を選ぶのは自然なことです。
 だけど、道具を使って速くなったとは、誰も思いたくないし、思われたくない。だからこそ、大会運営側にはフェアに戦える場の準備やルール作りが求められます。ドーピングの問題とも似ています。
 北京五輪の前に僕たちが直面した高速水着「レーザー・レーサー」の問題は、ルールがあいまいなために起きました。厚底シューズを巡る議論も、用具の進化にルールが追いついていない、同じ構図が背景にあると思います。
 今年一月に瀬戸大也選手に破られるまで僕が保持していた200メートルバタフライの日本記録は、レーザー・レーサーを着ていた二〇〇八年の北京五輪の決勝で出したもの。だけど僕自身が考える本当の自己ベストは、今のルールになった一二年のロンドン五輪で出したタイムです。
 引退した今、強く思うのは、スポーツは見てもらってなんぼだな、ということ。用具ばかりに目を向けられないように、現役のアスリートたちには、スポーツの価値や魅力を発信してほしいですね。

◆記者はこう考えた

 勝負をつけないブラジルの格闘技カポエイラ、過酷な自然と相対するアルパインクライミング、そしてはだしランニング。風変わりなスポーツばかりにハマってきた。共通点は「自己探究」。いずれも他者との比較より、自分の心と体を深く知ることが目的。だから極力、用具の性能に結果が左右されない方がいい。
 ただ、優れた道具を使うも使わないも、要は自分が納得できればいい話。中止や自粛ばかりの時だからこそ、それぞれがスポーツをする意味を見つけられたら、と願う。 (宮崎厚志)

◆来週のテーマは「学校の部活動」

 学校生活と切り離せない部活動。望ましいあり方や問題点を考えます。

関連キーワード

PR情報