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その右隣で待っていればいつだって彼はやって来た…名古屋の喫茶店で高木守道さんの指定席に初めて座った日

2021年1月27日 10時49分

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中日ー阪神 9回裏2死一、二塁、高木守道が左翼スタンドへ逆転サヨナラ3ランを放ち、森下整鎮コーチ(65),飛び出した歓喜のファンに迎えられホームへ向かう =1974年6月28日

中日ー阪神 9回裏2死一、二塁、高木守道が左翼スタンドへ逆転サヨナラ3ランを放ち、森下整鎮コーチ(65),飛び出した歓喜のファンに迎えられホームへ向かう =1974年6月28日

◇渋谷真コラム・龍の背に乗って
 昨年の手帳を見たら、偶然にも1月26日だった。僕は名古屋市名東区の「石蕗(つわぶき)」という喫茶店にいた。10席あるカウンターの左から2番目に座り、ブルーマウンテンを飲んだ。1人で過ごすのも、その席に座るのもこのときが初めてだった。だって、そこは守道さんの指定席。その右隣で待っていれば、いつだって守道さんはやってきた。「生涯最高の試合」の話を聞いたのもこの店だったっけ…。
 1974(昭和49)年。巨人のV10を阻み、名古屋がうれし涙を流した。6月28日の阪神戦(中日)で、守道さんは9回2死から逆転サヨナラ3ランを打った。当時はライバルの映像収集もままならず、弱点やクセを見つけるのは選手個人の資質だった。守道さんの観察眼は並外れており、仕留めた古沢憲司は「わかりやすい投手だった」と解説してくれた。
 負ければ首位と6・5ゲーム差だったが、6連勝と息を吹き返した。優勝への分岐点は、守道さんにとっても大きな意味を持つ。この6年前と3年前に巨人の堀内恒夫から頭部付近に死球を受けた影響で、わずかに左腰が早く開くようになった。「自分では怖いと思ったことはなかった」が、本能が拒む。長い低迷期に終止符を打てたのがこの打席だった。
 当時の高木家の庭には、中日球場の敷地から移した桜の木があった。何とこの年の秋に、季節外れの花を咲かせたそうだ。「咲いてからしばらくしてだね。優勝が決まったのは…」。取材を終えると、コーヒーカップは空だった。
 アポも取らずに大切な場所と時間に踏み込んでも、守道さんは嫌な顔をしなかった。今、同じことをやれば、間違いなく球団から出禁を食らう。勝った日も負けた日も、守道さんは番記者の質問に答えてくれた。
 1年前、マスターから「最後にお見えになったのは14日でした」と聞いた。亡くなったのは17日未明。2日前までいつもの席に座り、いつもの香りと味を楽しんでいたのだ。祭壇でほほ笑む守道さんのご冥福を祈り、手を合わせた。優しい笑顔を思い出したくなったら、また「石蕗」に行こう。

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