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きょう命日の高木守道さんが私の両親の離婚危機を救ってくれた…父がほれた女性と結婚

2021年1月17日 10時17分

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高木守道さん

高木守道さん

◇ヘンリー鈴木のスポーツ方丈記


 ミスター・ドラゴンズと呼ばれ、野球殿堂入りしている高木守道さんが急性心不全のため亡くなったのは、昨年1月17日でした。球場などでお会いするたびに「ヘンリーさん、やっとかめ(お久しぶり)」と、笑顔を浮かべて名古屋弁で声を掛けてくれた守道さん。訃報を誰が、どのような形で伝えてくれたのかはいまだに思い出せません。それからすぐに守道さんとの思い出を寄稿したことしか記憶になく、それほど頭が真っ白になりました。
 あれから1年。今回は守道さんが今は亡き私の父母の離婚の危機を救ってくれたという話を書こうと思います。どうでもいい話かもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。
 熱狂的なドラゴンズファンだった私の父・鈴木武樹は生前に明治大学でドイツ語を教え、今月4日が命日だった星野仙一さんも教え子の一人です。TBS系列「クイズダービー」にもレギュラー出演したことがあり、タレント教授の走りでした。そんな父が、私が小学生の時に守道さんがフライでアウトになるたび、よく口にしていた言葉がありました。
 「守道が凡フライを上げるのは、女房が揚げ物の天ぷら屋だったからだ」
 守道さんの華麗なバックトスや勝負強い打撃をいつも称賛する父が、この時ばかりは待ってましたとばかりに揶揄する。ジョークとはいえ、不思議でした。
 さらに当時の東京中日新聞(現東京中日スポーツ)には「プロ野球必須基本禁句」という、球界でタブー視されている話題や面白ネタを掲載するコーナーがあり、そこにもこのような一句を寄せています。
 「女房はうちでテンプラをあげ、亭主は球場で凡フライをあげる」
 なぜ? そのナゾが解けたのは、父が1976年に発刊した野球エッセイ集「燃えろプロ野球」を読んだ時でした。
 それによると、父が1965年7月にドラゴンズの試合を見るため名古屋に行き、天ぷら料理の名店に入った時、そこで働いている女性の美しさに見とれてしまったそうです。揚げ句の果てに自分は独身だとウソをつき、板前さんから「この子を東京まで連れてってくれませんか? もう年増に近いのに、まだもらい手がないんですよ」と言われると「じゃあ、この次、迎えに来るよ」と約束までしたといい、その時の心境を次のように書いています。
 「その後、東京へ帰ったわたしは、おおげさに言えば、細君とは離婚することまで考えて、秋にまた名古屋へ行く日を楽しみにした」
 ところがその年の秋に女性は結婚。お相手は何と守道さんでした。同僚の板東英二投手に連れられて店に行った守道さんの一目ぼれだったようで、父は「食い物の恨みは恐ろしいと言うが、女の恨みもそれにおさおさ劣るものではない」と書いています。
 まあ、このような話を公にする父もどうかとは思いますが、これを読んだ時の母の気持ちを思うといかんともし難く、私は父母の前でこの話題を持ち出すことは最後までできませんでした。もちろん、守道さんは知るよしもありません。
 現役選手の時は寡黙で知られた守道さんは、寝言をつぶやいただけで「守道がしゃべった」と、選手の間で大騒ぎになったそうです。それだけに女性をどのように口説いたのかは、当時の大きなナゾだったといいます。そのような話をもっとしたかったし、聞きたかった。守道さん、お元気ですか? そちらの世界でも大好きな野球をやってますか?
 ▼ヘンリー鈴木(鈴木遍理) 東京中日スポーツ報道部長、東京新聞運動部長などを経て現東京中日スポーツ編集委員。これまでドラゴンズ、東京ヤクルトスワローズ、大リーグ、名古屋グランパス、ゴルフ、五輪などを担当。
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