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“生意気な19歳”を五輪へ…野球殿堂入りの川島元代表監督 チャンス生かした福留孝介が知らなかった偶然

2021年1月15日 10時46分

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五輪代表で活躍した福留

五輪代表で活躍した福留

◇渋谷真コラム・龍の背に乗って【野球殿堂特別編】
 鹿児島県の福留の実家には、銀メダルが飾られている。1996年のアトランタ五輪。4番は平成の三冠王・松中信彦だった。井口忠仁(現・資仁)がいた。今岡誠(現・真訪)も谷佳知もいた。20人のメンバー中、のちに10人がプロ入りするスター軍団を率いたのが川島勝司さんだった。
 「右も左もわからない僕よりうまい選手は、社会人の中にたくさんいたと思います。星野(仙一)さんもそうですけど、そんな僕にチャンスを与えてくれたのが川島さんだったんです」
 前年のドラフト会議で7球団が1位指名で競合の末、近鉄が交渉権を得たが、入団を拒否。鳴り物入りで日本生命へと進み、腕を磨いていた。周囲から見れば生意気な19歳。代表メンバーに入れば摩擦も予想されたが、川島さんは福留を選び、使った。全9試合に先発出場し、打率2割8分1厘、8打点、2本塁打。世界を相手に爪痕を残した。
 川島さんも同じ近鉄の2位指名(68年)を拒否している。福留はその偶然を「知らなかった」が、川島さんから経緯を伝えられたのが吉見一起だ。
 「もう(トヨタの)監督を退かれた後だったので、直接指導を受けたことはないのですが、僕のドラフト(2005年)前に、アドバイスをいただきました。『オレはプロでやる自信がなかったんだ。自信があるのなら、行きなさい』と」
 指名当時は日本楽器(現・ヤマハ)だったが、のちにトヨタの監督に就任。退任後も総監督として野球部に携わっていた。背中を押された吉見は、最多勝2度。竜のエースとして君臨した。
 「日の丸を背負う意味や重みを体験できたことは、その後の野球人生に生かすことができました」。アトランタの夏から25年。代表最年少だった福留は、日本プロ野球最年長になった。グラウンドに立つ元気な姿を見せることが、殿堂入りを決めた川島さんへのお祝いにもなる。

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