初期斎宮の正殿か 飛鳥時代の建物跡発掘

2021年1月15日 05時00分 (1月15日 05時00分更新) 会員限定
飛鳥時代の斎宮中枢の建物跡とみられる遺構=明和町竹川で(斎宮歴史博物館により画像処理、同館提供)

飛鳥時代の斎宮中枢の建物跡とみられる遺構=明和町竹川で(斎宮歴史博物館により画像処理、同館提供)

  • 飛鳥時代の斎宮中枢の建物跡とみられる遺構=明和町竹川で(斎宮歴史博物館により画像処理、同館提供)
 天皇に代わって伊勢神宮に仕えた皇女「斎王」が暮らした明和町の国史跡「斎宮跡」の二〇二〇年度の調査で、飛鳥時代の斎宮の宮殿の中心的な建物跡などが見つかったと十四日、県立斎宮歴史博物館が発表した。博物館では、これまでの調査と合わせ、実在した初代斎王の時代と重なる初期斎宮の正殿の可能性もあるとみている。 
 史跡西部の発掘場所では一八、一九年度の調査で、長方形に囲む塀や門の柱跡などを確認。一緒に出土した土器の特徴から、これまでで最も古く、七世紀末から八世紀初頭の飛鳥時代の遺跡と分かった。初代斎王の時代と重なっている。高い塀で囲まれ、特別な場所の特徴があることから宮殿の可能性が高まっている。
 今回、門を入って右手奥に計十一の建物の柱跡が見つかった。柱の間隔などから建物は横十七メートル、奥行き七メートルと想定される。その大きさや宮殿区画の中の位置、柱跡が列になり庇(ひさし)があったとみられることから、中心的建物で、正殿と推定されるという。
 宮殿区画を囲む塀の角の柱跡も八つ確認。これまで確認されている柱跡から、宮殿の一辺が四十一メートルであることも判明した。もう一辺は五十五メートル以上と推定されて...

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