子どもと大人の「哲学対話」 異なる意見尊重し合う

2021年1月14日 05時00分 (1月14日 11時49分更新)
自分たちで考えた競技を楽しむ参加者=愛知県犬山市の楽田ふれあいセンターで

自分たちで考えた競技を楽しむ参加者=愛知県犬山市の楽田ふれあいセンターで

  • 自分たちで考えた競技を楽しむ参加者=愛知県犬山市の楽田ふれあいセンターで
 正解が一つとは限らない問いをみんなで話し、考える「哲学対話」に注目が集まっている。本年度から小学校で全面施行された新学習指導要領が「主体的・対話的で深い学び」を柱に据えたことも後押しする。愛知県犬山市を拠点に哲学対話に取り組むグループ「犬(いぬ)てつ」は昨年十二月、子どもと大人が半年かけて考えた独自の競技を楽しむ運動会を開いた。 (河原広明)
 「運動しすぎず、運動することを誓います」。昨年十二月の日曜日、犬山市の屋内施設であった運動会。新型コロナウイルス対策を意識した子どもの選手宣誓で始まった。
 小学一〜六年の十五人と、保護者ら大人五人が参加。激しい運動にならないよう考案した六つの競技を楽しんだ。床にお尻を着けて座り、体を左右に揺らして後方に進むリレー、両脚にはいたレッグウオーマーを手を使わずに脱ぎ、次の人に足で渡すリレーなどだ。
 前日まで開催できるか不透明だった。「どんな競技にするか」という最終段階で意見がまとまらなかったからだ。
 直前の回では、子ども側の提案で「『まとめる』とはどういうことか」が議題に。冒頭、進行役で元幼稚園教諭の安本志帆さんが問うた。「自分の意見を譲れない人もいるとき、どう決めたらいい?」
 子どもたちの反応はさまざま。「最終的に答えにたどり着けるなら、どれでもいい」「全員の意見を無理やりまとめると変なふうになる」「まとめるのは何かを切り捨てるに等しい。自分が切り捨てられた側だったら、何とかできたのでは思ってしまう」
 二時間かけても着地点は見えず、経験豊富な安本さんも「困った…」。子どもたちも悩んだ。結局、感染対策で急きょ「激しい運動はNG」となり、議論の枠が狭まったことで競技を決められた。
 こうした過程は実社会に重なる。「自分の当たり前と、他の人の当たり前は違う」という状況の中で、対話を通じて合意形成を図る営みだ。
 運動会を巡る議論では、学校とは何か▽学校には行かないといけないのか▽運動とは何か−と正解がないような抽象度の高いテーマも話し合った。何かを決めるのは犬てつでは初めての試みだった。
 犬てつを主宰するミナタニアキさんは「コロナ下で運動会など学校のことを決めるのに、ほとんど子どもの意見は聞かれなかった。今回の経験は今後、『どんな学校、社会をつくっていきたいか』を考えるときに応用できるはず」と語る。
 運動会を終え、小学六年の間中(まなか)すずさんは「『決める』という新しいことに挑戦できて楽しかった」、同五年の南谷有風(みなたにゆふ)さんは「犬てつはいろんな意見を聞けるのがいい。今回はそれを一つに絞るのが嫌だった」と話した。
 閉会式で安本さんは呼び掛けた。「違いを認め合いながら、一つのものをつくりあげるのは思ったより簡単ではなかったね。『決める』とはどういうことか、また振り返りをして考えましょう」。年が明けても対話は続いている。

 犬てつ 哲学対話に取り組む場として2017年に愛知県犬山市で始まった。主宰するミナタニさんの小学生の娘やその友人を中心に輪が広がり、これまでに子どもと大人が延べ約750人参加。当初は隔月、現在は毎月開いている。

正解ない問い議論「粘り強さ育む」

 NPO法人「こども哲学・おとな哲学アーダコーダ」の角田(つのだ)将太郎代表理事は「哲学対話には互いに尊重し合い、互いの考えを聞くようにしようというルールがある」と説明。「親や先生らの目を気にせずに自分の思ったことを素直に口にできる場がほとんどない中、子どもが自分の意見を話してもいいんだと安心できる機会は貴重だ」と語る。
 全国各地で哲学対話を実践してきた椙山女学園大の三浦隆宏准教授(臨床哲学)は「先行事例のない課題が山積していく今後の日本に必要なのは、従来のように問いを一人で考えて短時間で正解を出すタイプの知性ではなく、立場の異なる人たちと対等な立場で粘り強く解決策を探ることができるタフな知性だ」と指摘。「容易に答えを見いだせなくても対話を続ける粘り強さ、異論に付き合う寛容さなどを育む機会となる」と意義を語った。

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