本心<148>

2020年2月5日 02時00分 (5月27日 03時48分更新)

第七章 転機

「まァ、……そうなんですかね。」
「幸せな人には要らないと思う。」
「でも、欺(だま)されたまま死ぬのって、どうなんでしょう?」
「欺されてるとも言えないんじゃない? 仮想現実だって、人間が作った一つの世界なんだから。宗教だってそうでしょう? 天使じゃなくても、阿弥陀仏(あみだぶつ)でも何でもいいけど、そういうの、昔の人も“死の一瞬前”には見たがってたんでしょう?」
「昔の人は、……ええ。」
「馬鹿(ばか)馬鹿しい?」
「いえ、信仰を持ってる人を否定するつもりはないんです。ただ、それだったら、僕は最後に愛する人と一緒にいたいっていう母の気持ちの方が、まだわかります。」
「堂々巡りよ。……そういう人がいないから、困ってるって話だったんじゃないの?」
 三好は、寂しそうな、幾分、苛立(いらだ)った口調で言ったが、それをごまかすように微笑して語を継いだ。
「でも、一つだけ、わたしが死後も消滅しない方法があると思うの。」
 僕は小首を傾(かし)げた。
「わたしも宇宙の一部だって、感じ取るの。わたしと宇宙との間には区別がなくて、宇宙そのものとして死後も存在し続けるって。」
「……。」
「《縁起》は、時間のスケールが、三〇〇億年とかなの。想像できる? ビッグバンとかから始まって、途中で地球が誕生して、太陽に呑(の)み込まれて滅んで、そのあとも淡々と時間が続いて、更(さら)にまた一〇〇億年後、とか。――朔也(さくや)君も、試してみる?」
「……はい。」
 僕が頷(うなず)くと、三好は、「ちょっと待ってね。」と、一旦(いったん)、自分のピンク色のヘッドセットをつけて設定を操作し、僕に貸してくれた。
 僕は、何となく、自分たちのいるリヴィングの様子を見回した。
 そして、ヘッドセットを装着し、しばらく目を閉じていたあとで、ゆっくりと開いた。
 僕は、宇宙空間にいた。どこを見ても雲のない澄んだ星空のようで、数秒後には、無重力状態のように、上下左右の感覚に変調を来した。
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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