本文へ移動

なたべら鮎を行商したおばちゃんたち 飛騨・北陸の伝統漁法(5)

2021年1月5日 05時00分

このエントリーをはてなブックマークに追加
行商の思い出を語る翠尾さん(中)と中嶋さん(右)、左は取材する平澤さん。手前はアユを入れた折とカンカン

行商の思い出を語る翠尾さん(中)と中嶋さん(右)、左は取材する平澤さん。手前はアユを入れた折とカンカン

 【なたべら鮎を行商したおばちゃんたち】
 宮川村(現・岐阜県飛騨市宮川町)で捕れる「なたべら鮎」は、村人たちの自慢だった。
 大きな岩や深い渓谷もある同村杉原地区を流れる宮川では、下流にダムができる昭和半ばまで、富山湾からそ上したまっ黄色の大アユが捕れ、その一部は富山県に出荷されていた。交通機関が限られ、保存や運搬用の氷の調達もままならなかった時代だ。当時、この辺りを訪れた釣り人の定宿だった中嶋屋旅館の玄関先は、毎日、夕方になると捕れたアユがずらりと並び、出荷場の代わりになっていた。
 今回は宮川村の生活と文化を記録する「平澤ノート」を執筆する平澤外司來さんに同行し、かつて「なたべら鮎」を持って行商に出掛けた2人のご婦人に話を聞いた。
 1953(昭和28)年、20歳でこの旅館に嫁いだ中嶋睦子さんは義父を手伝い、大漁だった日はアユを丁寧に詰めた折をカンカンに入れて肩に担ぎ、富山市や富山県高岡市の市場へ出掛けた。
 「昨日はなたべら(アユ)が釣れたわい。重いけどがんばって売ってくれよ」。見送る義父からそんな言葉を掛けられ、午前5時の一番列車で市場へ向かった。
 1968(昭和43)年、中嶋さんに続いて同村の農協にパート勤めしていた翠尾トミ子さん(同村杉原)もアユが入ったカンカンを担ぎ、富山県の市場へアユを運んだ。29歳の時だった。
 当時の様子を尋ねると、2人とも年ごろの娘さんだけに行商の格好には恥じらいもあった。汽車で富山駅に着くとたくさんの通勤客に交じって路面電車に乗り換えた。ポタポタ滴る氷水を気にしながら、市場のある木町まで車内の隅でじっと身を潜めていたという。
 しかし、物資の乏しい時代。「生活がかかっていたので、そんなことも言っていられませんでした」と2人は口をそろえる。楽しみは、ひと仕事済んだ後、なじみになった市場のおばちゃんが労をねぎらって魚のあら汁を出してくれたこと。

関連キーワード

おすすめ情報

購読試読のご案内

プロ野球はもとより、メジャーリーグ、サッカー、格闘技のほかF1をはじめとするモータースポーツ情報がとくに充実。
芸能情報や社会面ニュースにも定評あり。

中スポ
東京中日スポーツ