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【鬼滅の刃】鬼も元は人間だった…炭治郎の言葉に込められたメッセージとは…「悪役」にも共感できる”人間描写”の深さも魅力のひとつ

2020年12月28日 16時06分

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映画のPRイベントに登場した竈門炭治郎(右)と禰豆子のキャラクター

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【記者コラム】


 映画「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」が大ヒットし、関連商品も軒並み売れ、今年の話題をさらった漫画「鬼滅の刃」。人をひきつける『鬼滅』には、単なる勧善懲悪の少年漫画にとどまらない、“特異”な魅力があると思う。主人公らが退治する『悪役』の鬼にさえ共感できるように描かれた、丁寧な“人間描写”の深さとバランス力だ。
【写真】JR熊本駅のホームに入る、"無限列車"
(※以下、ネタバレを含みますので原作など未読の方はご注意ください)
 
 まず、第一前提として、憎き鬼を倒す『英雄』の描写が深い。家族を鬼に惨殺され、妹を人食い鬼に変貌させられた炭治郎を始め、鬼を倒す組織「鬼殺隊」の隊員らは誰しもが悲しい訳ありの者ばかりだ。それは最強の剣士で構成される隊のトップ「柱」さえ、個々の事情を抱えている。当初は不器用さや冷徹さが目立ち、異様な空気感を漂わせる9人の「柱」も、作品が進むとそれぞれの事情が明らかになり、キャラへの愛情が深まる。
 ここで特筆したいのは、描き方のバランスだ。個々のキャラクターのエピソードに比重を置きすぎると、ばらばらな群像劇になりかねない。だが『鬼滅』は大勢のキャラに個性と深みを持たせつつ、作品軸がぶれない。まるで炭治郎の技『水の呼吸 陸ノ型 ねじれ渦』のごとく、主人公と他のキャラクターの魅力を巻き込みながら、読者を作品に引き込んでいく。
 2つ目の魅力は『悪役』である鬼にも“人間味”があり、共感できる点だ。
 本作では、どの鬼も元々人間だったという設定だ。そのため、退治されて姿が消える瞬間、鬼の多くは「人間だったころ」の思い出が走馬灯のようによみがえる。ある者は家族の真の愛情に気付けずに両親を手にかけた過ちに気づきざんげ。また、貧しく恵まれない家に生まれた兄妹は、最期に、お互いの存在の大きさやかけがえのない愛情に気づくー。自己を省みて悔い、まさに魂が“成仏”していくように姿を消す。
 心優しい炭治郎は、死に際の鬼に同情しがちだ。その姿勢を、鬼殺隊に導いた恩師・冨岡義勇(とみおか・ぎゆう)に叱責(しっせき)される場面がある。
 だが炭治郎はひるまず、「鬼は人間だった」「俺と同じ人間だった」といった趣旨を言い返す。
 炭治郎のこの言葉こそが、作品の魅力の本質だと思う。倒される『悪役』側も、倒す『英雄』側もともに同じ訳ありの“人間”だった。だがどこかで選択を間違え、鬼という悪の道に落ちた。だから、毎度、本作のページを割いて描かれる鬼の弁明を聞くと、“人間”である読者は自己を重ね、共感し、彼らの孤独感が胸に刺さる。
 『英雄』と『悪役』に共通する“人間描写”の深さ、どこか「性善説」にも通じる澄んだ作品性が人を引きつけるのだろう。そこには作者・吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる)さんが持つ、炭治郎のような優しい人柄も起因しているのかもしれない。(高木梨恵)

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