ラモス編集長「憲剛がいなかったら、フロンターレの発展は10年遅れていただろう」【月刊ラモス】
2020年12月26日 06時00分
クラブを愛し、クラブに愛され、そしてサポーターに愛された男が引退した。J1川崎フロンターレのMF中村憲剛(40)の引退セレモニーが21日、等々力競技場(川崎市)で行われ、1万3000人のサポーターが詰めかけた。月刊ラモスのラモス瑠偉編集長(63)は「フロンターレ一筋18年、本当にご苦労さまでした。もし憲剛がいなかったら、フロンターレの発展は10年遅れていた」と最大限の賛辞を贈った。
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これほど愛された男が、過去に何人いただろうか。40歳になったが、まだまだいけると思う。左膝の状態次第だが、短い時間限定で、スーパーサブとして試合の流れを変えるという役割なら、十分に通用する。なにせ憲剛は1本のパスで劇的に局面を変えることのできる選手だから。でも、引退は憲剛の決めた選択だ。たくさんのすてきなプレーをありがとう。本当に素晴らしい選手だった。
憲剛は都立高校から中央大学に進学し、2003年、テスト生として参加していた当時J2の川崎に入団した。当時はまだスカウト網も発達しておらず、全くの無名選手だったが、たまたま見た試合で体の線が細くて独特な走り方をする選手がいて、パスのタイミングや出し方に「光るものがあるなあ」と思ったのが、憲剛だった。
彼は飛び抜けて足が速いわけではないし、フィジカルコンタクトが強いわけではない。しかし、判断のスピードが抜群に早い。スピードというと身体能力と考えがちだが、周囲の状況を把握し、瞬間的に的確な決断を下すスピードも、大きな武器となる。
足が速いことだけに頼った選手は、なかなか上達しないことがある。低いレベルだと、工夫しなくてもスピードで相手を抜くことができるからだ。むしろ、足の遅い選手の方がいろいろと考えて工夫するから、うまくなる傾向がある。
憲剛はプロとして、恵まれた身体能力は持ち合わせていなかったが、受け手の持ち味を最大限に生かすパススピード、タイミング、コースを一瞬にして割り出し、合わせることができた。特に鋭い縦パスは芸術的で、パスで観客を魅了できる数少ない日本人選手だ。
そして何よりもすごいのは18年間、フロンターレに愛情を注ぎ、クラブに愛され、サポーターに愛され続けたことだ。私は10年間、トップの座を保ち続けて初めて一流と呼ばれると思っている。憲剛は18年だ。入団したときの背番号は26だったかな。その後14番になり、フロンターレと共に成長を続けた。J2からスタートし、今年は記録的な勝ち点を挙げ、最速で3度目のリーグ制覇を果たした。憲剛がいなかったら、クラブの発展も10年は遅れていただろう。
できれば、私も同じピッチで一緒にプレーしたかった選手の1人。14番をフロンターレの永久欠番にしよう。等々力競技場に銅像をぶっ建てよう。それくらいしてもおかしくないくらいの功労者だ。
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