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【阪神】伝説のバックスクリーン3連発の後を打った男…虎一筋47年佐野スカウト顧問 実は33日後にリベンジを果たしていた

2020年12月25日 16時40分

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佐野仙好球団アマスカウト顧問

佐野仙好球団アマスカウト顧問

  • 佐野仙好球団アマスカウト顧問
  • ラッキーゾーンに逆さにドッスン!ファイトあふれるプレーも
 虎一筋47年…。阪神は仕事納めの25日、佐野仙好(のりよし)球団アマスカウト顧問(69)の退団など人事異動を発表した。1985年の日本一戦士であり、現役引退後はコーチとスカウトを歴任。選手発掘などに尽力してきた佐野が実は、ドラフト前には中日から指名されると聞いていたというのだ。
 「まさか阪神の1位指名とは、思いも寄りませんでした」
 佐野は前橋工の三塁手として甲子園に出場している。中央大学1年の秋(1970年)には東都大学リーグで首位打者。4年間で優勝3度、全日本大学選手権でも優勝を経験し、日米大学野球にも出場した。大学通算安打は99本(打率2割8分3厘)で、7本塁打だった。
 同期のチームメートに藤波行雄外野手がいた。中日のスカウトには中大の先輩がいた。佐野氏には、中日が1位で藤波を、2位で自分を指名するという情報が伝わっていたのだ。
 1973年度のドラフト会議。「怪物」と呼ばれた作新学院高の江川卓を阪急(現オリックス)が1位指名したが、入団を拒否された年である。中日は藤波を1位指名。そして阪神が佐野を1位指名する。思いがけずも佐野をさらわれた格好となった中日は変更を余儀なくされ、鈴木博昭内野手(三菱自動車川崎)を2位指名している。
 それから27年後。スカウトとして最も思い出深いドラフトがあった。自由獲得競争のあった2000年、巨人との争奪戦になった藤田太陽投手(川崎製鉄千葉)の逆指名を勝ち取ったからだ。
 「家族の信用を得て、いろいろな情報をつかむことができた。藤田はそれほど活躍できなかったけども、スカウトとしてやりがいのある仕事でした」
 現役時代は当初、三塁手として期待を集めた。ただ、ドラフト同期には4歳年下の掛布雅之(習志野高)が…。三塁には掛布が台頭し、佐野は左翼にコンバートされた。
 「練習中いつも隣にはカケ(掛布の愛称)がいた。入団したときから競争。競争のなかで練習に励んできた。それが外野へ転向してもレギュラーでやれた理由。カケとの競争があったからこそプロで長くやれたと思います」
 プロ4年目の1977年。守備で外野フェンスに激突する事故があった。頭蓋骨骨折から脳挫傷の重傷。当時はコンクリートのフェンスで、この事故を機に弾力のあるラバーが普及する。生死の境を1週間さまよった佐野には事故の記憶がない。だから復帰後、恐怖感も残っていなかったという。ただ頭痛や首痛など後遺症には悩まされた。それでも勝負強い打撃を発揮して、1989年限りで引退するまで16年間プレーし、通算成績は1549試合、1316安打の打率2割7分3厘、144本塁打、564打点。その後は大半をスカウトとしてチーム編成に尽力した。
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