本心<153>

2020年2月11日 02時00分 (5月27日 03時48分更新)

第七章 転機

 地球がなくなってからも、虚(むな)しくただ浮遊し続けている。
 宇宙にも終わりがあるという。けれども、僕には詳しい物理学の知識はない。それが一体いつのことなのか。――時間は、それで止まってしまうのだろうか? それは、どういう状態なんだろう? 止まった、という状態のその先がないということは?
 僕の思考は、その状態を思い描くことがどうしても出来なかった。急に、肉体を備えた僕自身に引き戻され、息苦しくなり、無理難題を押しつけられた頭が破裂しそうな感じがした。
 そして、僕はまた、一億年間を一分間として体験する時間の中にいた。ひょっとすると、一〇〇億年先では、またどこかの惑星で、何かの生物の一部になることもあるんじゃないかと夢見た。
 僕はヘッドセットをつけたまま、いつしか床に横たわっていた。
 どの段階だったかは、覚えていない。
 けれども、百数十億年目のどこかで、三好が僕を残して、立ち去ってしまった気配が、微(かす)かに記憶に名残を留(とど)めていた。
 僕は、何百万光年の彼方(かなた)にまで、ひっそりと続く彼女の跫音(きょうおん)を思い遣(や)った。
 僕は、暗闇に漂っている。星々が輝き続けている。地球のことを思い出した。僕はあの時、あまりに一瞬のことで、自分の姿も、母の姿も、目にすることが出来なかったのだった。
 それが、残念だった。
 ほんの一瞬。――一瞬とさえも言えないほどの出来事が、今のこの僕という存在なのだ。僕だけでなく、どんな人間でも。
 二四〇億年に対して、人間の一生の八〇年ほどがどの程度なのか、僕はアプリにイメージ化の指示を出した。「三億分の一」という計算結果が、僕の視界全体に、巨大な帯グラフとして示されたが、どれほど目を凝らしても、特段、星のように輝くわけでもない、この僕という存在の小さな点を、見つけることは出来なかった。
 また一億年経(た)った。
 僕だけでなく、母を構成していた元素も、宇宙のどこかにバラバラになって浮遊しているはずだった。
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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