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中日2位・森博人、“左投手”から155キロ右腕…憧れの地元球団の一員に【新時代の旗手2021】

2020年12月24日 06時00分

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豊川高時代の森

豊川高時代の森

 最速155キロ右腕・森博人投手(22)=日体大=は、もともと“左投手”だった。野球との出会いは保育園年中のころ。父・勝志さん(53)の草野球に同行し、ファウルボールを取りに走っていた。ボール遊びをする時は右投げの勝志さんと向かい合い、森少年は同じ側の左手で投げていた。左手で箸を持ち、ハサミを扱うのと同様、最初に買ってもらったグラブは左投げ用だった。
 ところが卒園前、森少年が友達とボール遊びする様子に、勝志さんはハッとした。「ボールをグラブをはめた右手で捕り、グラブを外して右手で投げていた。不思議でした」。15年以上前とあって森は「覚えていない」と話す。本能だったのか。「右投げ右打ち」への転換期だ。
 小3からクラブチームに所属。中学卒業までは自宅居間でのシャドーピッチング100回以上や、仕事帰りの勝志さんとともに車庫で練習球を打つのが日課だった。
 昔から強気で、真っすぐ。小・中学校時代は捕手や左翼手との兼任で、ボーイズ関係者からは外野手として地元の公立高進学を推された。それでも森少年は「私学の野球の強いところに行く」と譲らず、投手志望も曲げなかった。進学した豊川高には縁を頼って、中学時代に投球練習と外野ノックを見てもらった。勝志さんいわく「押し掛けのよう」だった。
 高校3年間で甲子園とは縁がなかったが、制球力とスライダーの良さには中日関係者もひそかに注目。日体大では元中日・辻コーチらの手ほどきを受けた。入学時に授かった「プロ野球で活躍するためにはストレートが必要」という言葉を胸に、球に力の伝わりやすいよう股関節回りの動かし方を改良するなどして球速に磨きをかけた。
 森は憧れの地元球団の一員となった。「左利きだから野球も左投手でもいいのかなと思うけど、どうなっていたかは分からない」。偶然の出来事の先に、果てしない夢が広がっていた。

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