本心<159>

2020年2月17日 02時00分 (5月27日 03時48分更新)

第八章 新しい友達

 それが、僕の孤独を慰めてくれると信じて。――しかし、その時点からの僕との生活のやり直しが、結局また、<母>の顔から明るい笑みを失わせてしまったという事実が、僕を憂鬱(ゆううつ)にさせた。
 僕は、三好が出勤してから、洗面所の鏡の前で、何度となく笑顔の練習をした。<母>と――いや、生前の母と向き合っているつもりで。
 AIは、一体、どんな表情のニュアンスから、これをニセモノと判断しているんだろうか? 本当に楽しくて笑った時、僕はどんな顔をしていただろう? 目のかたちだろうか? 歯が見えているかどうかだろうか?……
 新しい仕事を探しながら、僕は、久しぶりにカンランシャの野崎に連絡をして、<母>が笑わなくなってしまったことを相談した。野崎は、
「そうですか。ちょっと、見てみましょう。仰(おっしゃ)る通り、AIが何かを学習してしまった可能性があります。それが何なのかは、案外、難しいんです。」
 と、親の認知症を相談に来た息子にでも接するような態度で言った。
 そして、こう付け加えた。
「――人間もそうですよね。何かよくわからない事情で、他人が気分を害してしまっているのに戸惑うこと、ありますから。こちらからしてみると、思いも寄らないことで。……」
 その説明は、よくわかったが、僕は久しぶりに、人間の感情と、AIという、まるで仕組みの違うものとを、同じであるかのように語る野崎の口調に接した、という感じがした。
 <母>との三ヶ月に亘(わた)る生活の結果、僕の中でも、それに同調する気持ちと、反発する気持ちとが、矛盾したまま、ますます強くなっていた。そして、野崎が、 V F (ヴァーチャル・フィギュア)企業の一社員として、そうしたレトリックを用いたがるのか、本心からそう考えているのかは、やはり、よくわからなかった。
 僕には、彼女に関してもう一つ気になっていたことがあった。
 カンランシャは、岸谷の事件があった時、僕の<母>とのやりとりの記録を警察に開示し、捜査に協力していたはずだった。
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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