本心<158>

2020年2月16日 02時00分 (5月27日 03時48分更新)

第八章 新しい友達

 <母>は、対話者との“沈黙”を回避するようにプログラムされているらしく、少し黙っていると、必ず向こうから口を開いた。そして、岸谷の話題であれば、僕が興味を持つと判断したようで、ありとあらゆるニュースを収集していて、逐一教えてくれた。フィルタリングしてあるので、あまり酷(ひど)いデマは混ざっていないはずだったが、それでも、ネットの一部で彼を“英雄視”し、暗殺が不成功に終わったことを嘆く声まであることを僕は知った。
 彼らはつまり、事後的に、岸谷を自分たちのアバター化しているのだった。
 <母>はまったく常識的な困惑の面持ちで、最後には必ず、
「どんな事情でも、テロで世の中を変えようとするなんて、間違ってるわよ。」
 と僕が教えた通りの言葉を言い添えた。
 僕は、今も拘置所にいる岸谷のことを考えた。彼は、自分の行為の反響を、弁護士を通じて知っているだろうか? 確かに、英雄視する人たちもいる。けれども、結局は一握りに過ぎなかった。
 一般には、「不遇な人たちはいる。まァ、そういう人たちは、時々、こんなことでもしでかさないと、実際、やってられないのだろう。しかし、本当に殺さなかっただけ、同情の余地もある犯行ではない?」という程度の反応だった。
 政府は、治安対策として、監視態勢を一層厳しくすると発表しただけだった。そして、それに同調し、英雄視とは比較にならないほど多くの嘲弄(ちょうろう)と罵声が、岸谷に浴びせられていた。奇妙にも、富裕層だけでなく、岸谷と同じ境遇の貧しい者たちでさえ、しばしば彼を激しく憎んでいた。
 犯行直後の“真犯人”探しの熱も冷め、岸谷の事件は、世間では、この社会に折々起きるバグかエラーのように無関心らしく処理されつつある。警察もその後、僕には何も言ってこなくなっていた。
 僕はそもそも、安楽死を思いつめるようになる以前の母と、屈託のない会話をしたいと思い、 V F (ヴァーチャル・フィギュア)を制作し、その頃の年齢に設定したのだった。
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
※転載、複製を禁じます。

関連キーワード

PR情報