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<ユースク> 創業80年超の理容店、年内で幕 名古屋・昭和の中村さん

2020年12月13日 05時00分 (12月13日 05時00分更新)
「誠意を尽くして、技術で応えられる職人として仕事ができました」と振り返る中村さん=名古屋市昭和区花見通の中村理容店で

「誠意を尽くして、技術で応えられる職人として仕事ができました」と振り返る中村さん=名古屋市昭和区花見通の中村理容店で

 「年内で閉店する名古屋市昭和区の理容店をぜひ取り上げて」と「Your Scoop〜みんなの取材班(ユースク)」に情報提供があった。店を閉じるのは一九三八(昭和十三)年創業の中村理容店。店主の中村一則さん(83)は「本当は死ぬまで仕事がしたいんですが、体もそろそろ限界です」と語る。 (蓮野亜耶)
 「いつものように」と客がオーダーすると、自然に手が動く。頭皮をもみ込むようにマッサージしながら髪を洗い、カットしてひげをそるまで一時間以上かかる。その間、客は会社の愚痴や趣味の話、温泉に行ったことや日本酒のうまさを力説する。中村さんはその一つ一つに静かにうなずく。
 同店は、中村さんの父が川名公園近くの同区花見通二で始めた。開店の際には、知人の大工が開業資金として四百円を新聞紙に包んで父に持たせたという。当時は近くに理髪店はなく、客足が途絶えなかった。「日銭が入るもんで毎日、父の晩酌のために酒を今池まで買いに行った」と中村さんは振り返る。
 太平洋戦争中、父が徴兵されたため、店を二年ほど休業。また、「金属類回収令」で、店にあったはさみを提供したこともある。ただ、一部を手元に残していたおかげで終戦の翌年に店を再開した。
 父と同じ道を進むことになったきっかけは、「なりゆき」と中村さんは話す。父から理容専門学校に行けと言われ、市内の学校に五三(同二十八)年に入学。一年間、基礎を学んでから父の店で働くこととなった。
 最初は、はさみを握らせてもらえず、ただ父の仕事を見るだけ。「よく見とれよ、勘をつかめ、と何度も言われた」という中村さん。客の髪を切ることができたのは父の店で働いて数年たってからだった。
 特に忙しかったのは、年末だ。昭和三十年はじめまでは、身ぎれいにして新年を迎えたいという人たちが押し寄せ、二十九日から三十一日までは夜明けまで仕事をこなした。「足が棒になるってこういうことなんだと思った」と笑う。
 現在は六十〜八十代の客が通っている。閉店の連絡を聞きつけ、花を贈ったり、市外から駆けつける客もいる。「死ぬまで続ける」と思っていたが、体力の衰えもあり、閉店を決めた。「誠意を持って、技術で応える職人としての意識を持ってやってきた。ここまでやってこられたのは、皆さんのおかげ」と感謝の言葉を続けた。

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