本心<164>

2020年2月22日 02時00分 (5月27日 03時48分更新)

第八章 新しい友達

 そうしてようやく、リアル・アバターという仕事に漕(こ)ぎ着けた時には、なぜか、自分には自由があると感じたものだった。その惨めな帰結を思えば、奇妙としか言いようがなかったが、あの手の仕事を始める時の、言わばありきたりな誤解だった。
 確かに、リアル・アバターは、この体を貸すだけの単なる言いなりだ。
 けれども、毎日同じことを意味も考えずに繰り返すわけではなかったし、時には敬意を以(もっ)て、依頼者から感謝されることもあった。そういういい思い出もある。
 岸谷が豪邸のベビーシッターを喜んでやったように、僕らの方こそが、他人の人生をハッキングしているような感覚になることもあった。彼は結婚し、子どもを持ちたがっていたので、その間だけ、仮想現実に浸っていたと言えなくもなかっただろう。
 自尊心を踏み躙(にじ)られるような仕事もあったが、僕が出会った富裕層には、知的で、上品で、礼儀正しく、親切な人たちも少なからずいた。これは事実であり、現実だ。
 勤務中に、何か僕が人生の中で理解しそこなっていたような、奥深いにも拘(かかわ)らず、ある階層の人たちにとっては当然であるような世間話をしてくれることもあった。
 恐らく彼らは、一種の孤独の故に、そんなにおしゃべりだったのだが、それでも、他人に対する、あまり渇望的でない、幾らか諦念の気配のある、ゆったりとした優しさを持っているのだった。
 彼らが、一体、どうやって裕福になったのかは知らない。――いや、彼らの親や、そのまた親がどうやって裕福になったのかと問うべきだろう。
 とすると、反発にせよ、彼ら自身ではなく、会ったこともない、今はもうこの世界にいないような、彼らの一族に向けられるべきなのだろうか? 親の資産の利子だけで、毎年一千万円も収入があるという人は、無垢(むく)な幸運の享受者に過ぎないのだから。とっくに日本を脱出していて、時折、残してきた家の手入れを依頼してくるようなあの人たちでも。その方が、飛行機に乗らず“エコ”だからと。――
 僕はこの一週間、一緒にビルを回っていた二人と昼食をしながら、ずっと考えていた。
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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