アイアンコウノ 顕彰碑で後世に 日本初プロ球団創設 大聖寺の偉人 

2020年12月6日 05時00分 (12月6日 05時02分更新)
河野安通志

河野安通志

  • 河野安通志
  • 来年完成予定の顕彰碑の模型=大聖寺文化協会提供
  • 顕彰碑の起工式で玉串をささげる参加者ら=加賀市大聖寺耳聞山町で

地元文化協企画 来年お披露目

 日本初のプロ野球球団を創設した河野安通志(こうのあつし)(一八八四〜一九四六年)の功績をたたえる顕彰碑の起工式が五日、生家に近い加賀市大聖寺の耳聞山公園であった。球団設立から百年の今年、郷土史家ら地元有志でつくる大聖寺文化協会が企画した。来年十月に着工し、十二月にお披露目の予定。 (井上京佳)
 大聖寺文化協会によると、河野安通志は大聖寺藩士の家に生まれ、幼少期を大聖寺で過ごした。早稲田大では投手として活躍。学生チームで米国に遠征して大半の試合を一人で投げ「アイアンコウノ(鉄腕河野)」と呼ばれた。一九二〇年には日本初のプロ球団「日本運動協会」を設立。三六年には中日ドラゴンズの前身・名古屋軍の総監督も務め、没後に県内出身者で初めて野球殿堂入りした。
 輝かしい功績にもかかわらず、河野は数年前まで地元でも知られていなかったという。文化協会は百年の節目の今年、顕彰碑の完成を目指していたが、新型コロナの影響で、建設費を集める募金活動が難しいと判断し、一年延期を決めた。
 ボールを模した直径三メートルのコンクリートの土台に、高さ一メートルの顕彰碑と、おわん形に角柱を組み合わせた高さ一・五メートルのモニュメントを建てる。顕彰碑の裏には河野の功績を刻む。モニュメントの角柱には、似顔絵、竹久夢二が河野をモデルに描いた雑誌の挿絵や、九谷焼の陶板をはめ込む。
 起工式には文化協会員や宮元陸市長ら約十五人が参加。神職が建設予定地を清めた後、宮元市長らがくわ入れした。大和(やまと)謙市会長(76)は「素晴らしい碑をつくり、大聖寺のにぎわいづくりにつなげたい」と期待を込めた。
 建立費は市内企業や地元出身者らを中心に広く寄付を募る。

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