金森先生の教え 忘れない 野々市でお別れ会

2020年12月5日 05時00分 (12月5日 10時24分更新)
金森俊朗さんとゆかりのある多くの人が訪れたお別れ会=野々市市交遊舎で

金森俊朗さんとゆかりのある多くの人が訪れたお別れ会=野々市市交遊舎で

  • 金森俊朗さんとゆかりのある多くの人が訪れたお別れ会=野々市市交遊舎で
  • 児童の背後に立ち、励ます金森俊朗さん(左)=2006年11月21日、金沢市西南部小で

◇特別な時を過ごせた
◇思想や哲学 受け継ぎたい

 今年3月に73歳で死去した元小学校教諭で、「いのちの授業」で知られる金森俊朗さんのお別れ会が、野々市市交遊舎であった。教え子や教員仲間、平和サークル関係者ら200人が集い、子どもが輝く教育を生涯をかけ追求した金森さんをしのんだ。 (小室亜希子)
 金森さんは、三十八年間の教員生活で、八つの小学校で勤務した。一九九七年には中日教育賞を受賞。お別れ会には多くの教え子が訪れ、学級での思い出を語った。
 金沢市十一屋小出身の大西優介さんは犀川での川遊び、辰巳用水を探る学習、被爆者への聞き取りを基に紙芝居を作ったことなどを回想した。中でもシンガー・ソングライター梅原司平さんを招いて、広島・長崎への思いを込めた「折り鶴」を一緒に歌ったことが忘れられないと振り返り、「本当に特別な時を過ごさせてもらえた」と語った。
 同市西南部小出身の伴田千紘(ちひろ)さんは現在、県立大大学院で環境科学を研究する。学校前の水田で稲の成長や生き物の働き、農家の仕事を学んだ。どしゃぶりの中、泥んこでサッカーもした。そうした金森学級での経験が自然に関心を寄せる原点になった。二年前、卒業論文の発表に金森さんを招いた。「大人になった今だからこそ、話したいことがある」と惜しんだ。
 西出豊美さんは五十一年前、金森さんが初めて赴任した小松市那谷小の教え子。新学期の始まりに学級憲法をつくった。「うんと元気な子、うんと仕事する子、うんと勉強する子、うんとみんなと遊ぶ子、うんと自分を大切にし、他人も大切にする子」。みんなで歌をよく歌い、ゼッケンを縫いながら大合唱になった思い出を鮮明に語った。
 金森さんは定年退職後、北陸学院大で教員志望の学生を教えた。同僚だった辻直人さんは二〇一二年、オランダでの講演旅行に同行した。各地で熱烈な歓迎を受けながら、自らの教育の源泉を問い直し、それを伝えようと、最後まで意欲的だったという。「子どもの生活を土台にした教育をつくっていこうと、ぶれずに貫かれた」としのんだ。
 金森さんを最初に特集番組で取り上げた元石川テレビディレクター赤井朱美(あけみ)さんは「命の教育とは僕自身を問うこと。いじめも自殺も大人社会にある。問われているのは大人だ」との金森さんの言葉を紹介。「本当に優れた教育者であり、一人の人間として尊敬できるスケールの大きな先生だった」と語った。
 学校外での精力的な活動を象徴するように、平和サークルや元保育士のグループ、劇団文化座の佐々木愛代表ら、幅広い分野の人たちがメッセージを寄せた。金森さんを慕った元小学校教諭松村一成さんが「金森さん、あなたの教育思想や生きる哲学を受け継げるよう、仲間とつながり合って模索していきます」と呼び掛け、締めくくった。
 コロナ禍とあってお別れ会は十一月十五日、百人ずつの二部構成で開かれた。

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