ホンダ「日本一」の陰に元巨人・木村龍治コーチ 中京高で快挙逃した甲子園の涙から32年

2020年12月4日 14時40分

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ホンダの木村龍治コーチ(右)と筆者

ホンダの木村龍治コーチ(右)と筆者

  • ホンダの木村龍治コーチ(右)と筆者
  • NTT東日本を破り、都市対抗野球で3度目の優勝を決め喜ぶホンダナイン
 社会人野球のホンダ(狭山市)が3日の都市対抗野球決勝でNTT東日本(東京都)を4―1で下し、11年ぶり3回目の優勝を果たしました。今年のアマチュア野球界はコロナ禍で高校、大学の全国大会が軒並み中止となり、社会人も日本選手権が見送られたなか、「日本一」の称号をつかんだ唯一のチームとなりました。
 東京ドームのフィールドにあふれる笑顔とうれし涙。そんな選手たちを穏やかなまなざしで見つめているコーチがいました。昨年まで巨人に在籍し、今年50歳になった背番号「88」の木村龍治さんです。
 「こんな野球人生を想像もしていなかったので格別な思いです。就任してしっかり結果を出せて良かった。正直ホッとしています」
 試合当日は別件の仕事で球場に行くことができなかった私が祝福のメッセージをラインで送ると、このような言葉が返ってきました。
 木村さんのことは記憶に残っている方がいるかもしれません。愛知・中京高(現・中京大中京高)のエースだった1988年のセンバツ大会、木村さんはベスト8をかけた宇部商戦で9回1死まで走者を1人も許さず、完全試合の快挙まであと2人と迫っていました。しかし、そこから安打を打たれ、2死後に逆転2ラン本塁打を喫して1―2で敗退。号泣して甲子園を後にした木村さんの後ろ姿は、現場で取材していた私の目に焼き付いています。
 その後は青山学院大を経て、92年ドラフト4位で巨人に入団。星稜高から1位指名された松井秀喜選手が脚光を浴びる中でリリーバーとして着実に力を積み重ね、04年に引退するまで通算172試合に登板。05年からは投手コーチ、トレーニングコーチとして1、2軍の選手たちを指導していました。
 そんな木村さんに転機が訪れたのは昨年オフ。球団から2020年の契約を結ばないことを告げられ、選手として11年、コーチとして15年の計26年間も着続けてきた巨人のユニホームを脱ぐことになったのです。ホンダからコーチ就任の誘いがあったのは、それから数カ月後でした。
 チーム強化のため体制一新を計っていた当時のホンダに先見の明があったのは、木村さんが巨人でコンディショニングも担当していたことに目をつけたことです。自身の経験から「これからは選手の体調などを科学的根拠に基づいて管理することも重要になる」と思った木村さんは、数年前から専門家にアドバイスを請うなど独自に勉強を続けていました。
 ホンダとしては投手陣指導とコンディショニングを一人のコーチでまかなうことができ、一挙両得と思ったのかもしれませんが、コロナ禍で練習環境が限られて選手の体調管理が難しかった今季は、木村さんが果たした役割は大きかったはずです。
 昨年まで所属した古巣のホームグラウンドで優勝を遂げた木村さん。ラインの返信には「HONDAの歴史に優勝を刻むことができて良かったです。就任してしっかり結果を出せて良かったです」と喜びがあふれていました。甲子園で流した涙から32年。「野球人」に神様が贈った、ひと足早いクリスマスプレゼントです。
 ◆ヘンリー鈴木(鈴木遍理) 東京中日スポーツ報道部長、東京新聞運動部長などを経て現東京中日スポーツ編集委員。これまでドラゴンズ、東京ヤクルトスワローズ、大リーグ、名古屋グランパス、ゴルフ、五輪などを担当。
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