日本文化の源流 業平 鏡花賞 高樹のぶ子さんスピーチ「言葉が力持った時代書いた」

2020年11月28日 05時00分 (11月28日 10時58分更新)
受賞記念スピーチで業平について語る高樹のぶ子さん=金沢市文化ホールで

受賞記念スピーチで業平について語る高樹のぶ子さん=金沢市文化ホールで

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 平安時代の歌物語「伊勢物語」をもとに、歌人在原業平(ありわらのなりひら)の一代記を描いた「小説伊勢物語 業平」(日本経済新聞出版)で、第四十八回泉鏡花文学賞を受賞した高樹のぶ子さん(74)。二十一日に金沢市文化ホールであった授賞式のスピーチでは、業平がかなを本格的な和歌の言葉として成立させたことなど、三つの視点から日本文化の源流として挙げ、「武力でも経済でもなく、言葉が力を持った時代を書いた」と語った。 (松岡等)
 高樹さんが、業平の功績として第一に指摘したのが、和歌にかなを用いた歌人としての評価。「当時の日記などの主流はまだ漢文だったが、業平はかなを本格的に和歌の言葉として成立させた」と指摘。「かなによる和歌に邁進(まいしん)し、それが後の『古今和歌集』へとつながっていく」と述べた。
 二点目に挙げたのは、天皇家に連なる血筋にありながら、早々に権力から離れた美意識だ。業平は平城天皇の第一皇子だった阿保親王の子だったが、政変もあって権力から遠ざかる。
 「業平の人生は一種の貴種流離譚(りゅうりたん)。そのかなしみを表した初めての人ではないか」と高樹さん。そしてそうした権力から離れることの美意識は、「西行、鴨長明、あるいは芭蕉などともつながる」といい、「落ちていくあわれが日本人の共感としてあるのではないか」と語る。
 その上で、「当時は言葉の力が大きかった。だからこそ業平はやがて天皇の勅令を伝える蔵人頭(くろうどのとう)という立場になる。後に武力、今なら経済力が強くなるが、当時は実利的にも言葉が力を持っていた」といい、そうした時代を書くことの意義を強調した。
 三つ目は業平の「色好み」。業平は、多くの段が「昔男ありけり」の書き出しで始まる伊勢物語の「男」のモデルとされ、その後の芸能、文化の中では「プレーボーイ」としてさまざまなバリエーションで描かれてきた。しかし高樹さんは「西洋のドン・ファンとは異なる」と指摘する。
 「男性が女性をハントし、コレクションするというのは、私から見たら滑稽なこと」といい、「業平を知れば知るほど、人生の中で女性の優位性を分かっていたのではないかと思える。女性から教えてもらうというアプローチの仕方があったからこそ業平はモテた」と。そして「これは私の創作です」と断りながら、「業平は最後に伊勢という女性を信用し、自らの作品を預けたのではないか」と述べた。
     ◇
 高樹さんは山口県生まれ。「光抱く友よ」で芥川賞を受賞後は、石川県旧鶴来町などを舞台にした「透光の樹」があるほか、「蔦燃」で第一回島清恋愛文学賞(当時は旧美川町が主催)を受賞するなど、同県にゆかりが深い。
 その石川の文学的土壌について「キノコが育つような湿度があり、日本の文化、文学が育つ場所」といい、「だからこそ多くの文学者が引き寄せられ、私もその一人として書いてきたし、今後も書いていくのではないかと思っている」と話した。

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