本心<168>

2020年2月26日 02時00分 (5月27日 03時48分更新)

第八章 新しい友達

 僕は、呆(あき)れつつ、母が見知らぬ老人に、ホステス扱いされているような反発を感じた。
「お母様が来て下さるようになってから、その方も見る見る元気になられて、職員に対する態度も穏やかになったと、施設の方からも感謝されてます。VF(ヴァーチャル・フィギュア)は全国出張が可能ですから、この調子で依頼が増えると、今後、スケジュール調整が難しくなるかもしれません。投資として、もう一人、お母様のVFを作られる、ということも、ご検討なさってはいかかでしょうか?」
「とてもそんなお金の余裕はありません。」
 僕は、即座に首を振った。
 野崎は一体、僕の顔のどこを見て、心を読み取っているのだろうか?
 僕は、彼女の提案に反発を覚えた。同時に、<母>が生身の僕よりも収入を得る能力に長(た)けているかもしれないという考えに動揺した。しかもそれが、僕の生活を安定させてくれるかもしれない――いや、ひょっとすると、「あっちの世界」に導いてくれるかもしれないと考えて、秘(ひそ)やかな期待を抑えきれなかった。
 そしてそのすべてを、すっかり彼女に見透(みとお)されているのではあるまいかと感じた。
 僕は実のところ、提案を受け容(い)れるように説得されたがっていて、渋々、受け容れる、というかたちを望んでいると見做(みな)されているのではあるまいか。……
 あのメロンの一件があって以降、僕は時折、自分の人生が、今もどこかで、「あっちの世界」の人間たちに嘲笑されているのでは、という不安を感じるようになっていた。実際には、視界にさえ入っていないと、それこそ顔を見合わせて蔑(さげす)まれるのだろう。しかし、彼らがどう思おうと、僕はまだ傷ついたままだった。
 <母>からの収入は、その後、期待したほど増えることもなかった。
 「あっちの世界」に行くなどということは、夢のまた夢で、しかし、三好の支払う家賃と併せれば、馬鹿(ばか)にならない生活の足しとなった。最初の契約時に、野崎に吐(つ)いた嘘(うそ)とは違って、母は自分の死後にVFが作製されることなど、微塵(みじん)も考えたことがなかったろう。
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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