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マラドーナ獲得に動いたPJMフューチャーズ元監督の桑原勝義さん思い出語る ナポリで接触 手応え十分も…

2020年11月26日 15時28分

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桑原勝義さんがマラドーナ氏とイタリアのナポリの食堂で握手をかわす写真(桑原勝義さん提供)

桑原勝義さんがマラドーナ氏とイタリアのナポリの食堂で握手をかわす写真(桑原勝義さん提供)

 元アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナさんが25日に死去したことを受け、サッカー王国と呼ばれる静岡県内のサッカー関係者からも惜別のコメントが26日に相次いだ。
 日本フットボールリーグ(JFL)理事長の桑原勝義さん(76)=浜松市=は「1990年代に、マラドーナ氏獲得に動いたことが懐かしい思い出」と語った。当時、J1サガン鳥栖の前身のPJMフューチャーズで監督を務めていた桑原さんは90年秋に、イタリアのナポリでマラドーナ氏と接触、獲得の意思を伝えた。マラドーナさんは『最後の働き場所は日本』と回答してくれた。
 しかし、その後、マラドーナさんにコカイン使用疑惑などがあり、交渉はできなくなった。桑原さんは「PJMはマラドーナさんの弟のウーゴも獲得したし、背番号10を空けて待っていたが」と悔しさをにじませた。
 元静岡学園高サッカー部監督の井田勝通さん(78)=静岡市=は「残念だね。1979年8月から東京で開催されたワールドユース選手権で、マラドーナの追っ掛けをした。左足だけで、巧みな足業を披露、優勝にも貢献した」と当時を振り返った。「ふてぶてしいまでのずぶとい性格、統率力は多くのファンを魅了した。同じアルゼンチン代表のメッシとは違うタイプの選手だった」と評した。

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