甲子園取材の楽しみだった「木内節」アルプス席での茨城なまりの名解説…名将の戦況を見る目は確かだった

2020年11月24日 21時09分

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選手に見送られながら球場を後にする木内監督

選手に見送られながら球場を後にする木内監督

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 取手二高や常総学院高(ともに茨城)の野球部監督を歴任し、春1回、夏2回の甲子園優勝に導いた木内幸男さんが24日、肺がんのため死去した。89歳だった。
   ◇   ◇
 木内節を聞くのは、甲子園取材の楽しみのひとつだった。記者が木内さんをよく取材するようになったころは、常総学院の監督をすでに退いて、チームを教え子に託していた。木内さんは、常総のアルプス席で学校関係者と試合を見ながら大放談する。茨城なまりで、笑い声を「ガハハ」と表記するのがぴったり。その場に何度か、お邪魔させてもらった。
 試合終盤は、木内節も熱を帯びる。80歳を超えた名将の戦況を見る目は確かだった。常総の投手がピンチを迎えると「ここは打たれます、ハイ。変化球はダメですよ」と歯に衣(きぬ)着せぬ調子。その通りに変化球を痛打されるが「子どもたち」を責めることはない。貫かれているのは、悪いのは選手ではなく教える側という考え。「優勝の夢は監督が与えるんですよ」とも言っていた。
 高校野球では無名だった茨城の公立校、取手二を率いて桑田、清原のPL学園を破って優勝したのは木内監督の最高傑作ともいわれる。そのときの主力選手から、こんな思い出話を聞いたことがある。「校内でのケンカがばれて停学になりそうになったが、もみ消してくれた」。やんちゃな生徒たちに大きな夢を与えて引っ張った。
 新型コロナウイルスの影響で、今年は関東大会にも足を運ぶことはなく寂しかった。いずれスタンドで木内節をまた聞けると信じていたが、その機会はなくなってしまった。(アマ野球担当・小原栄二)

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