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94年の沢村賞秘話…山本昌に星野仙一氏から電話「おい獲らせたぞ」ライバルは伊良部 劣勢を覆した舞台裏

2020年11月24日 10時39分

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沢村賞の金杯で故・アイク生原氏の墓前にビールをささげる山本昌広さん

沢村賞の金杯で故・アイク生原氏の墓前にビールをささげる山本昌広さん

渋谷真コラム・龍の背に乗って


 大野雄が球団史に新たな1ページを刻んだが、このタイミングで過去の1ページをほんの少し修正したい。証言者は山本昌さん。1994年の沢村賞受賞時にまつわるエピソードを公開してくれた。
 あの「10・8」から半月後、オーバーホール先で番記者から朗報を聞かされた。すぐに星野仙一さんに電話で報告したら「知ってるわい。オレは選考委員だぞ」と返された…。これが通説だ。しかし今回、昌さんが明かした事実は、電話は星野さんがかけてきた。
 「おい獲らせたぞ。星野さんはそう言ったんです」。獲ったではなく獲らせた。この言葉の裏には、当時の選考事情が絡み合っている。
 昌さんは両リーグ最多の19勝や214イニングなど、7項目中5項目をクリア。堂々たる成績だが、強力なライバルがいた。ロッテの伊良部秀輝が、239奪三振など6項目をクリアしていた。沢村栄治といえば、剛速球の右投手。選考委員会は今回以上の激戦、いや昌さんにとっては劣勢だった。
 稲尾和久さんと土橋正幸さんが伊良部を推した。黙って1票投じるだけなら、恐らく伊良部で決まった。だが、会議とは政治だ。星野さんはまず平松政次さん(当日欠席)の支持を取り付けたようだ。これで2対2。座長の別所毅彦さんを、持ち前の押しの強さで説き伏せた。
 受賞した昌さんは12月中旬、ロサンゼルスに飛んだ。大恩人のアイク生原さんの墓前に報告するためだった。副賞の金杯をアイクさんが大好きだったライトビールで満たし、墓石に注いだ。野球人生を大きく変えたベロビーチ野球留学からわずかに6年。「いつクビになるかとおびえていた」男が、投手最高の栄誉を手に入れた。
 「アイクさんは僕の初めての2桁(90年)を見届けた2年後に亡くなったから。沢村さんは大好きだったみたいで、よく会話に出てきたんです。だから『ヤマ、ウソだろ!』って驚いてくれたと思います。本当に特別な賞。僕も今年は大野がふさわしいと思っていた。本当におめでとうと言いたいですね」
 獲らせたぞから26年。今でも昌さんの左手に残る賞の重みと責任は、大野雄にも受け継がれた。

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