<あいちの民話を訪ねて>(17)三河大島の島取り話(蒲郡市)

2020年11月22日 05時00分 (11月22日 05時00分更新) 会員限定
三河湾に浮かぶ三河大島=蒲郡市で

三河湾に浮かぶ三河大島=蒲郡市で

  • 三河湾に浮かぶ三河大島=蒲郡市で
  • 三河大島にある神社は北を向き、三谷の街並みを望む=蒲郡市で
 三河湾に浮かぶ蒲郡市の無人島・三河大島。かつて地元の複数の村がその帰属を争い、手こぎ舟による海上レースで三谷が勝ち取ったという言い伝えが残る。
 現在の三河大島を管理するのは三谷町財産区。一九五四(昭和二十九)年に蒲郡市ができる前は旧三谷町の所有だった経緯から、合併後も地域性を残した形になっている。
 江戸時代中期の地誌書には大島が三谷村に属すると記されており、「島取り」のレースが実際に行われたとすればこれ以前か。明確な記録はなく、三谷の勝因や、争ったのも「三谷と形原の二村」から「三谷、不相、形原、西浦の四村」まで諸説ある。
 島の周辺が豊かな漁場だったので漁師らが争ったとの見方もあるが、三谷漁協の小林俊雄組合長(75)は「昔の三谷は海運業で栄えていた。漁船ではなく荷船の船頭たちが競ったのでは」と推測する。
 島には神社がまつられている。記録によると、一八一九(文政二)年に三谷村で大火があり、村を火災から守るために建立された。社殿は三谷の街並みを見守るように北向きに配置されており、人々は樹木が茂って見通しをふさがないよう手入れを続けてきた。
 このよ...

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