本文へ移動

<木曽川水景> (43)「日本ライン下り」の痕跡(3)

2020年11月21日 05時00分 (11月21日 13時37分更新)
50人乗りの「桃太郎紅葉船」。船体に日本ラインの文字が残る=犬山市栗栖の桃太郎港で

50人乗りの「桃太郎紅葉船」。船体に日本ラインの文字が残る=犬山市栗栖の桃太郎港で

  • 50人乗りの「桃太郎紅葉船」。船体に日本ラインの文字が残る=犬山市栗栖の桃太郎港で
  • 「木曽川観光」社のちょうちん。長年使った「日本ライン」の文字入りは今年でしまわれた(8月撮影)=犬山市犬山で
  • ライン下りを手掛けた「木曽川観光」社に残る案内看板=犬山市犬山で
  • 今はもうない乗り場を案内している看板(8月撮影)=岐阜県白川町の国道41号で
 大正時代に始まった日本ライン下りは、平和でなければできない遊びだった。ざっと九十年前、この国が約十五年間の戦争に突入すると、船頭は召集されて兵士となり、舟を動かせる者がいなくなった。そして誰もが生きるだけで精いっぱいで終戦を迎える。
 名鉄のライン遊園駅(現在の可児川駅)に近い初期の乗り場「大脇湊」(岐阜県可児市土田(どた))の一帯は、戦時中に荒廃したと可児市史は伝える。
 ようやくの戦後。名鉄社史によると、...

中日新聞読者の方は、無料の会員登録で、この記事の続きが読めます。

※中日新聞読者には、中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井の定期読者が含まれます。

記者へのメッセージポストへの投稿はこちらから

関連キーワード

PR情報

愛知の新着

記事一覧