本心<171>

2020年2月29日 02時00分 (5月27日 03時48分更新)

第八章 新しい友達

「どうしてお母さんに言わなかったの?」
「よくわからないんだけど、何の話?」
「この動画よ。見てないの?」
 そう言って、<母>は僕を動画投稿サイトに導き、画面を大映しで見せた。
 僕は、その光景に息を呑(の)み、心臓を乱暴に鷲掴(わしづか)みにされたような苦しさを感じた。
 目に飛び込んできたのは、あのメロンの日のコンビニでの出来事だった。
 縮れ毛の少し白髪の交じった男が、異様な形相で、女性店員に差別的な言葉を吐き散らしている。
「……ここは日本! ちゃんとした日本語喋(しゃべ)れないなら、国に帰れ、国に!……<This is Japan! Speak Japanese properly, or go back to your country!>」
 どこから、誰が撮影していたのだろうか?あの時は、まったく気づかなかったが、ケータイで商品の棚の陰から撮ったものらしい。編集が施されていて、わざわざ英語の字幕までついていた。
 やがて、画面の外から、ワイシャツを着たあの日の僕が入ってきて、男性の前に立ちはだかった。
「止(や)めろ。<Stop it!>」
 僕は、膝に置いた手に力を込めた。男は激昂(げきこう)し、僕を避けて彼女に向かって行こうとする。僕はその行く手を阻み、また「止めろ。」と呟(つぶや)いたはずだったが、音声は曖昧に拾われていて、字幕には<It’s racism.>という翻訳が付されていた。
 男は右にずれ、左にずれ、その度に僕は無言で彼女を庇(かば)い続けた。僕は、この日、自分が酷(ひど)く汗を掻(か)いていたことを思い出した。この男も、それを“臭い”と感じていたのではあるまいか?
 男はやがて、僕を力任せに突き飛ばした。僕は、カウンターで腰を強打したが、無言で彼を見つめ返した。
「日本では日本語話せ! 嫌なら出て行け!<Speak Japanese in Japan! If you don’t like it, get out!!>」
 彼がそう叫んで出て行きながら商品棚を蹴っていたのに、僕は初めて気がついた。
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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