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<曲折の半世紀 足羽川ダム本体着工>(上)歴史

2020年11月16日 05時00分 (11月16日 05時00分更新)
 木々が色づき始め、山あいの集落に清流の音が響く。福井市中心部から東へ車で三十分余り。十月末の美山地区にはのどかな風景が広がっていた。半世紀前から三十年にわたって、足羽川ダム建設の是非を巡って大きく揺れた地区だ。
 「ふるさとを水につけるのはもってのほか。賛成とは言えない雰囲気だった」。旧美山町役場でダム対策を担当していた豊田忠克さん(79)=東河原町=は、当時の反対運動をこう振り返る。県道沿いには「建設阻止」の立て看板が点在した。
 足羽川下流の洪水被害を軽減させようと、国は一九六七(昭和四十二)年度、ダム建設の予備調査を始めた。八三年には実施計画調査に移行し、美山町をサイトとする多目的ダムの事業が動き始めた。調査では、同町の百六十戸と池田町の六十戸の計二百二十戸が水没することが判明した。
 建設予定地だった場所の残存集落に住む川崎武雄さん(89)と竹沢正重さん(77)=蔵作町=は「根拠は不明だが、霧が発生して農作物に影響が出るとか、森林伐採で土砂崩れが起きやすくなるという話を聞いた」と回顧する。

 ■反対運動

 水没地住民でつくる町ダム反対期成同盟会は「無条件で反対」を一貫して主張。水没予定...

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