大根干し 三方原の風物詩 沢庵用にはざかけ

2020年11月14日 05時00分 (11月14日 05時00分更新)
はざに架けられた沢庵用の大根干し=三方原開拓農業協同組合提供

はざに架けられた沢庵用の大根干し=三方原開拓農業協同組合提供

  • はざに架けられた沢庵用の大根干し=三方原開拓農業協同組合提供
 昭和時代、遠州の空っ風が吹き荒れる寒い季節になると、三方原台地のあちらこちらで大根を干す姿が見られました。
 三方原で大根が栽培されるようになったのは、一九一二(大正元)年のことです。馬鈴薯(ジャガイモ)の裏作として和歌山県から種子を購入し、栽培が始まりました。三方原の大根は、肉質がち密で辛味が少なく、多汁で甘みが強いと評判になりました。
 二一(大正十)年ごろから、沢庵に加工する大根が増えました。
 大根の収穫期の十一月下旬になると、沢庵用の大根を乾燥させるために「はざ」を立てました。
 風通しと日当たりの良い場所に、丸太や竹を使って、高さ十~十五段、長さ三十~五十㍍ほどのはざに、大根を架けて干しました。
 大根干しは、晩秋から初冬にかけて、三方原の風物詩になりました。
 「わが町文化誌とみつか」によると、富塚地区では三〇(昭和五)年ごろから、沢庵漬けが盛んに行われるようになったそうです。
 はざに架けて干し、たわやかになった大根を取り込んで、四斗(七十二リットル)樽に塩二升(三・六リットル)、米ぬか四~五升(七・二~九リットル)を交ぜ、甘味料を少々入れてぬか漬けの材料にしました。干した大根を並べて足で踏みつけ、ぬか漬けの材料を振りまいては並べる作業を繰り返し、最後に中ぶたをして、その上に重石を置き、二十~三十日ぐらいで「浅漬け」が出来上がりました。
 時間をかけてじっくり漬け込み、手間をかけた「本漬け」も作られました。
 六五(昭和四十)年ごろまでは、沢庵は富塚地区の農家の大きな収入源になっていたそうです。
 三方原の大根を使った沢庵は、浜松市内をはじめ、県内外に出荷されました。

◆「遠州焼き」コリコリ食感

 「遠州焼き」の名前で有名になった浜松地方のお好み焼きは、沢庵のみじん切りを交ぜた生地を薄く広げて焼き、ソースを塗って三つ折りにするのが定番です。駄菓子屋が多くあった頃は、鉄板で焼いたお好み焼きの沢庵のコリコリとした食感が何とも言えないおいしさをかもし出してくれました。
 今では、三方原で大根干しのはざは、ほとんど見かけなくなりました。干した大根から沢庵や切り干し大根は作られていますが、干さずに料理で使われる大根の方が数多く栽培、出荷されています。

<もっと知りたい人へ>
参考文献:「わが町文化誌とみつか」浜松市立富塚公民館わが町文化誌編集委員会


関連キーワード

PR情報