ルメール、M・デムーロ…、海外の名手襲来! 騎手も世界標準に

2019年4月12日 02時00分

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JRA年間最多の213勝を達成したクリストフ・ルメール(右から2人目)=2018年12月28日、中山競馬場で

JRA年間最多の213勝を達成したクリストフ・ルメール(右から2人目)=2018年12月28日、中山競馬場で

  • JRA年間最多の213勝を達成したクリストフ・ルメール(右から2人目)=2018年12月28日、中山競馬場で
  • 第70回日本ダービーをネオユニヴァース(右)で制し、喜ぶ鞍上のミルコ・デムーロ=2003年6月1日、東京競馬場で
  • 昭和62年に免許登録部免許課係長を命ぜられた当時の思い出を語る、現JRA裁決担当の庄村之伸さん
  • 短期免許第1号として来日し、通算9勝を挙げたニュージーランド出身のリサ・クロップ
  • 外国人騎手のパイオニアとして日本と海外をつないだオリビエ・ペリエ=1999年1月、中山競馬場で
  • 地方から中央への移籍第1号として活躍した安藤勝己さん=2003年7月
  • 「日本の競馬が世界一」と語るミルコ・デムーロ

第11部 中央競馬編(3)

 平成30(2018)年12月28日中山6レース。フランスから日本中央競馬会(JRA)へ移籍してきたクリストフ・ルメール騎手(39)が、年間213勝目を挙げ、中央競馬史上に新たな金字塔を打ち立てた。平成17(2005)年に武豊が記録した年間勝利記録を13年ぶりに更新。さらに2勝を上乗せし、215勝の年間最多勝記録を作った。平成初期はまだ珍しかった外国人騎手の存在だが、今ではルメールと同時にJRA所属となったミルコ・デムーロ騎手(40)も活躍。その礎となったのが外国人短期滞在免許(現在の短期免許制度)。これが日本の競馬を大きく変えた。
 5、8、10、12。平成27(2015)年にJRA所属となって以降、ルメールとM・デムーロの2人でJRAのGIを勝った数である。現在、JRA所属騎手は141人。GIは2年前から年間24レース(昨年は通常地方競馬場開催のJBC3レースをJRAで開催したため27レース)で、一昨年、昨年と半数に届きそうな勢いで2人が勝っている。
 2人とも平成5(1993)年に作られた短期免許制度で何度も来日してなじみ、所属にまでなった。制度を作ったのは、昭和62(1987)年に組織改革でできた免許試験委員会(免許登録部)。当時、免許登録部免許課係長に就任した庄村之伸さん(現裁決担当)はこう振り返る。
 「日本人騎手の技術の向上、若手騎手が世界に目を向けるチャンスをつくるためにも外国人騎手には来てほしかった。でも、免許登録部が発足した時はフランスで活躍したキャッシュ・アスムッセン、コーリー・ナカタニ(共に米国出身)ら3人から打診があったが、実際に来日するまでには至らなかった」
 進路妨害などによる降着制度など、安全面を優先した日本の厳しいルールになじめないのが理由だった。短期免許制度ができるまでは、申請が通過すれば騎乗が可能で、記録に残っているものでは、昭和46(1971)年に米国の騎手に交付されている。だが、そのほかで外国人騎手が日本で騎乗したのは、昭和56(1981)年に始まった外国馬が出走できるジャパンCの週のレースや、同62年から始まったワールドスーパージョッキーズシリーズ(現ワールドオールスタージョッキーズ)などの招待競走の週のレースぐらいで、事実上の“鎖国”状態が続いた。
 それでも免許登録部は調教師会、騎手会、馬主会、さらにはビザを発給する外務省とも連携し、制度を作り上げた。制度を利用した第1号は平成6(1994)年6月に来日したニュージーランドの女性騎手リサ・クロップ。免許期間の3カ月で9勝を挙げた。庄村さんは「先にアラン・ムンロ(英国、第2号で同年9月来日)から打診はあったが、彼女の周りには親日家も多く、身元引受人の確保やビザの発給がスムーズに運んだのだろう」という。
 そして、3人目として12月にフランスからやってきたのが、のちに日本競馬界に輝かしい功績を残すオリビエ・ペリエ。平成21(2009)年2月まで、27回にわたり来日し、GI12勝を含むJRA通算379勝をマークした。
 現在も親交の深い武豊は、ペリエについて「騎手としても、人間としても素晴らしい。彼とは非常にいい関係を築けて、僕もここまでやってこられたのかなと思う」と話す。ペリエの存在が、多くの世界の名手たちを動かした。
 とはいえ、免許の乱発はできない。重要視されたのは免許期間と同時期の人数だ。「競馬の発展も大事だが、競馬学校の生徒に悪影響(卒業後の勝ち星など)を与えないようにすることも考えた」と庄村さん。期間は3カ月(実績から2カ月も)、同時期の人数はプロ野球の外国人枠を参考にして5人に決定した。「これまで79人(今年1月現在)の外国人騎手に免許を交付してきたが、やはりペリエやケント・デザーモ(米国)などの活躍を見て増えてきたのかなと。また、日本は安全な競馬をしていることも感じてくれたのだろう。進上金(報酬)も高いから」
 来日して実績を残し、信頼を勝ち取るようになり、海外遠征する馬に騎乗することも多くなった。M・デムーロは平成15(2003)年ネオユニヴァースで春のクラシック2冠を制覇。免許期間が終了していたが、その活躍で秋の菊花賞に騎乗できる特例を勝ち取った。平成23(2011)年にはヴィクトワールピサで、世界最高峰レースの一つ、ドバイワールドカップを制した。
 そのM・デムーロとルメールがJRA騎手試験受験で合格。庄村さんは「短期免許を構築した当時は、外国人が通年免許に合格するとは思えなかった。日本語の試験をクリアするのは難しいし、考えられなかった」と話す。一部の試験問題を英語にするなど、改善されたのは大きかった。
 短期免許制度で一流の外国人騎手の騎乗ぶりを日本で見られるようになった。その半面、日本人騎手が外国人騎手に押されている感があるのも事実である。新時代「令和」は日本人騎手が世界に羽ばたく番であってほしい。
(この連載は中央競馬取材班が担当しました)
 JRAは地方競馬騎手にも試験制度を創設し、門戸を開いた。第1号となったのが平成15(2003)年に笠松から移籍した安藤勝己さん(59)。GIが地方所属馬に開放された平成7年、笠松のライデンリーダーで桜花賞トライアルの4歳牝馬特別を勝ち、それをきっかけに中央を意識するようになった。
 地方馬がJRAの交流競走に出走すれば、その日のほかのレースも騎乗できたため、依頼が殺到。関係者の勧めもあって移籍を決意し、2回目の試験で合格した。
 移籍後は数多くの大レースを勝ち、トップクラスの騎手として活躍した。「JRAから技術的に地方は下に思われていたところもあったからね。自分が入って一石を投じることはできたはずだし、少しは変えられたと思っているよ」と安藤さん。その後も兵庫から小牧太、岩田康誠、南関東から内田博幸、戸崎圭太らも移籍し、今も活躍している。
 イタリア出身のM・デムーロは、平成11(1999)年12月に短期免許で日本で初めて騎乗した。騎乗前に11月のジャパンCを観戦、レース後のパーティーに参加し、日本語も英語も話せないのに、周囲が親切にしてくれて日本が好きになったという。
 平成15年にネオユニヴァースで皐月賞、日本ダービーを制覇し、特例で秋の菊花賞も騎乗。「日本の競馬にもっと乗っていたいと思っていた。ネオユニヴァースの時はうれしかった」と日本への思いを強くした。
 平成27年にJRA所属に。「最高に幸せ。いっぱいいい馬に乗せてもらえている」と喜ぶ。母国を離れて日本で乗ることについて「日本の競馬が世界一だから。イタリアのサッカーが世界一で、世界中から選手が集まることと同じこと」ときっぱり。いずれは日本国籍取得も考えており、日本の騎手としてこれからも活躍していく。
 ◆騎手免許 外国人騎手への短期免許の有効期間は1年のうち原則3カ月間で、分割は可能。JRA所属騎手の有効期間は3月1日から翌年2月末日までの1年間で、更新する場合は1月に口頭試験や身体検査がある。新規騎手になる場合、競馬学校生は口頭試験、その他は1次で筆記、2次で口頭、騎乗試験などがある。
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