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阪急-ロッテ フェンスを上がり、好捕した山森=1981年9月16日、西宮スタジアムで

阪急-ロッテ フェンスを上がり、好捕した山森=1981年9月16日、西宮スタジアムで

  • 阪急-ロッテ フェンスを上がり、好捕した山森=1981年9月16日、西宮スタジアムで
  • 中日-巨人 荒木は中前へ抜けそうな打球に飛びつき、井端にグラブトスをし、封殺する=2006年9月2日、ナゴヤドームで(いずれも長塚律撮影)
 スポーツ4紙の選考委員会が、独断で「野球殿堂」入りを決める第10回のテーマは「名手」。1981(昭和56)年9月16日のロッテ戦(西宮)で、阪急の山森雅文外野手が「ザ・キャッチ」をやってのけた。われわれの決定を待つまでもなく、本場・米国の野球殿堂に認められた伝説の美技だ。史上最高の二遊間・井端弘和、荒木雅博とともに、名手の極意を-。 (文中敬称略)

米野球殿堂も認めた伝説の「ザ・キャッチ」 山森雅文 日本人初の展示

 米国ニューヨーク州クーパーズタウンに、野球殿堂博物館がある。いわば野球の聖地に、初めて展示された日本人は、野茂英雄でもイチローでも松井秀喜でもない。当時20歳、全米はおろか国内でもまだ無名の外野手の美技だった。
 81年9月16日のロッテ戦に、山森は左翼手として先発した。1回、1死。弘田澄男の打球が、背後を襲った。素早く後退した山森は、ためらうことなく左足で踏み切り、右足を金網に引っかけた。金網の上を右手でつかみ、左足を乗せる。次の瞬間、グラブを差し出し、本塁打を左飛に変えて見せた。
 投げた山田久志には「ゾン(愛称がゾンビだった)ありがとう」と感謝され、打った弘田からは翌日「バカ野郎」と言われた。そんなビッグプレーは偶然ではない。練習のたまものだった。

「練習していた」

 「捕れたらもうけもん。それくらいのつもりでしたが、練習していたんです。西宮だけじゃありません。後楽園、藤井寺…。フェンスに上れそうな球場ではやっていました」
 黄金時代を築いていた阪急の伝統だった。入団直後から「福本豊の後継者」と期待された山森は、試合前の守備練習から影のように福本にくっついた。「何でこの人はまるで飛んでくる打球がわかっているようにスタートできるんだ?」。風向きや配球を見るのは当たり前。投手の球の軌道を覚え、打者のフォームを観察する。そして打球音。「当時の西宮はお客さん少なかったから(笑)。甲高い音か、澄み切った音か。弘田さんは右打者でしょ? 上体が開かなかったらこっち(左翼)に来るんです」。打撃フォームと打球音で動きだしていた。
 阪急ではフェンスを上るだけでなく、落ちたときに備えて受け身の練習までやっていた。特に競輪場との併用だった西宮のフェンスは、簡単に引き抜ける構造だった。少し不安定だったが、練習を重ねた山森は、何と金網の上に立ち、落合博満の本塁打を見送ったことすらあったという。
 「見て、覚えて…。長くてきつい練習でしたけど、いい環境でした。本当に阪急に入ってよかったと思います」
 現在はロッテのスカウトとして全国を飛び回る。アマ球界の指導者からは、今も「あの山森さんですか?」と言われ「助かることもあるんです」という。のちにGS神戸(現ほっともっとフィールド神戸)でも本塁打をつかみとった山森だが、やはり本場の“野球殿堂入り”したプレーへの思いはひとしおだ。数年前、家族4人でクーパーズタウンを訪れている。

本人だと告げず

 「ニューヨークからレンタカーで4、5時間かけてね。花が咲き誇っていて、すごく美しかったです。そこにイチローや松井、王さんや衣笠さんといったすごいスターの横に僕の写真が飾ってあってうれしかったなあ」
 米国でも認知されている伝説のホームランキャッチ。だが一般客として入場し、誰にも「僕が山森だ」とは告げずに帰ってきた。実直で控えめな人柄を物語る話である。 (渋谷真)
 ▼山森雅文(やまもり・まさふみ) 1960(昭和35)年11月26日生まれ、熊本県出身の56歳。熊本工から79年にドラフト4位で阪急入団。86年には規定打席未到達ながらゴールデングラブ賞を受賞した。94年に現役引退し、現在はロッテスカウト。通算1072試合、打率2割3分9厘、33本塁打、134打点。

史上最高の二遊間 アライバ ゴールデングラブ 6年連続W受賞

 2004年から6年連続でゴールデングラブ賞をW受賞した二遊間。二塁は荒木、遊撃は井端という鉄壁のコンビを、いつしかファンは「アライバ」と呼ぶようになった。
 「打ったところに守っているのが井端で、画面に入っていないところから突然、フレームインして捕るのが荒木」。山本昌の言葉が、2人の守備力を的確に表している。
 動画サイトでおなじみなのが、二遊間へのゴロを捕った荒木がグラブトス。捕った井端が一塁で殺すというコンビプレーだ。荒木は「いつだって井端さんは見えるところにいてくれた」と信頼を寄せ、井端は「あっちに転がれば、荒木が捕るのはわかっていた」と待っていた。打ち合わせ不要、声もアイコンタクトもない。そうして一時代を築いていった。
 荒木は硬めのグラブを好み、井端は「グラブは捕るのではなく、打球を止めるための道具」だと言う。ちなみにそろってエビとカニが苦手で、独身時代には同じマンション(別室ですよ!)で暮らしてもいた。打っても荒木2023安打、井端1912安打とそろって一流だ。 (渋谷真)
 ▼荒木雅博(あらき・まさひろ) 1977(昭和52)年9月13日生まれ、熊本県出身の40歳。熊本工からドラフト1位で96年に中日入団。2007年に盗塁王獲得。ベストナイン3度、ゴールデングラブ賞6度受賞。今季までの通算2168試合、打率2割6分8厘、33本塁打、465打点。
 ▼井端弘和(いばた・ひろかず) 1975(昭和50)年5月12日生まれ、神奈川県出身の42歳。堀越高から亜大をへて、ドラフト5位で98年に中日入団。ベストナイン5度、ゴールデングラブ賞7度受賞。通算1896試合、打率2割8分1厘、56本塁打、510打点。現在は巨人内野守備走塁コーチ。

非運の名手 福良淳一 836守備機会無失策も…GG賞取れず

 「非運の名手」といえるのが阪急、オリックスで活躍した福良淳一だ。1993年4月から94年7月まで継続した836守備機会無失策は、今もプロ野球記録だ。無失策=名手とは言い切れないにせよ、卓越した安定感があったのは間違いない。
 だが、現役時代にゴールデングラブ賞とは縁がなかった。同じ二塁手には2歳上の辻発彦がいたからだ。そのライバルが今季からオリックスと西武で指揮を執り、しのぎを削っているのもおもしろい。

【選考委員のつぶやき】 センターファウルフライ!? 果たせなかった新庄の夢

 強肩と広い守備範囲を誇った新庄剛志(日本ハムなど)が、最後まで果たせなかった「夢」がある。
 「センターファウルフライを捕ってみたいんです。やったらかっこいいでしょ?」。恐らくプロ野球史にもない中邪飛。いかにも「目立つの大好き」な新庄らしい発想だ。動きが緩慢な外国人が守ることが多い左翼側にねらいを定め、練習でも挑んでいたがさすがに無理だった。
 「捕っていたら独断殿堂入りだったね」が選考委員の一致した見解。ちなみに「投邪飛」は2011年5月1日のシコースキー(西武)など前例あり。「捕直」もあるといえばある。1965年5月11日。巨人・滝の打球は広島の投手・安仁屋を直撃し、跳ね返って捕手・久保祥のミットに収まった。打者はアウト。ただし、記録上は「投直」となっている。NPBによると「打球方向で判断するので、この場合は投手へのライナーとなり、捕手には刺殺(捕球)が記録されるんです」。名プレーあれば珍プレーもあり…。
(次回は11月28日掲載)
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