今年も「10.17」に何かが起きる!? 涙 笑顔 強運 あぁ勘違い ドラフト劇場
2019年10月1日 02時00分
入団拒否、裏金問題など悲劇に彩られる平成のプロ野球ドラフト史の中で、ひときわ異彩を放った“喜劇”が、2015年10月22日に東京都内のホテルで開かれたドラフト会議で起きた。明治大学の高山俊外野手を阪神とヤクルトが1位指名で競合。外れクジを引いたのに勘違いでガッツポーズしたのはヤクルト監督の真中満(48)だった。世に言う「真中幻のガッツポーズ事件」である。 (文中敬称略)
満ちあふれる「確信」
それは、確信に満ちあふれたガッツポーズであった。先に抽選箱に手を差し込んだのは、阪神監督の金本である。最初に拾ったクジを落とし、もう一つのクジを拾い上げた。この光景を見て、内心、ほくそ笑んだのは、真中であった。
頭の中では「自分が当たりくじを引くイメージしかなかった」と振り返る。自信満々に残りクジを利き腕の左手で引き、金本が見るより先に素早くクジを開いた。そして、その直後、クジを右手で持ち、われ勝てり、と両手を高々と上げた。その光景を見て、金本は敗北を確信。自分のクジを見ることもなく、阪神球団のテーブルに戻った。真中のガッツポーズはそれほど鮮やかで有無を言わさぬ説得力があった。
本人へ熱烈アピール
当たりクジを引いたと思い込んでいる真中は場内インタビューで「いや、もう、ドキドキでした。一番、最初にクジを開いてやろうと思っていたので良かったです。三拍子そろった選手ですので、チームを代表するような選手になってもらいたい」と声高らかに勝利宣言。さらに、「慣れ親しんだ神宮球場だと思いますので、一緒にヤクルトでプレーしましょう。頑張りましょう」とテレビの向こうの高山本人にも熱烈エールまで送った。
場内「えーーーーー」
ところが、だ。この数分後にクジを確認したNPBにより「当たりクジを引いたのは、阪神。ヤクルトは外れでした。確認ミスがございました」と発表され、場内が「えーーーー」とざわめく。翻弄(ほんろう)されまくりの金本は「ビデオ判定でホームランが覆った。こういう心境です。ドキドキしました。真中監督の叫びにだまされて、クジを見なかったんです。良かったです」と地獄から生還したかのように安堵(あんど)の表情。この光景を騒動の張本人、真中は涙目で凍りついたような表情で見詰めていた。
それにしても、なぜ、このようなことが起きたのか。各球団のテーブルの上には間違いがあってはならぬと、左にドラフト会議のロゴマーク、右に交渉権獲得と書かれた当たりクジと空白の外れクジの見開きの見本が置いてあった。真中はこれを確認していなかったことをのちに認めている。原因はほかにもある。
自他認める強運の男
真中と言えば、自他ともに認める強運の男である。現役引退後は2軍コーチ、2軍監督、1軍コーチとトントン拍子でステップアップ。2014年オフ、最下位となった小川淳司を引き継いで監督に大出世した。
就任1年目に大混戦のセ・リーグを勝ち抜き、あれよあれよの14年ぶりのリーグV。前年最下位からリーグVは、セ・リーグでは39年ぶりの快挙だった。真中は「持ってる男」の勢いそのままにドラフト会場に乗り込んだ。
しかも、占い好きの真中がドラフト当日の朝、自らの運勢を調べたところ大吉、念には念を押し、神社に必勝祈願までした。もはや、負ける要素はどこにもなかった。真中の辞書に“外れクジ”の文字などなかったのである。
「ゆうもあ大賞」受賞
その年のオフ、真中は、その年、明るいユーモアで世間を楽しませた、全ジャンルから選んだ3人に贈られる第44回「ゆうもあ大賞」も受賞した。表彰式では「監督に就任して、優勝とゆうもあ大賞狙ってました」とスピーチし、また、笑いを誘った。世紀の大失態を世紀の喜劇に変えてしまったのは、この人の人徳と人柄によるものだろう。どこまでも、楽観的で超ポジティブ。そして、少し、せっかち。
幻のガッツポーズ事件は起こるべくして起こった必然だったのかもしれない。
(竹下陽二)
やっぱり「持ってる」やり手社長
平成ドラフトで強運を見せつけたのは“やり手社長”たちだった。
日本ハムは藤井球団社長が2007年に4球団競合の中田翔外野手(大阪桐蔭高)、10年にも再び斎藤佑樹投手(早大)を「4分の1」で引き当てた。また、津田球団社長は11年に巨人との1位競合で菅野智之投手(東海大)の交渉権を獲得(入団拒否)。14年は4球団競合の有原航平投手(早大)を当てた。
楽天の立花球団社長は“初参戦”から3連勝。就任1年目の12年に2球団競合の森雄大投手(東福岡高)、13年は5球団競合の松井裕樹投手(桐光学園高)、14年も2球団競合の安楽智大投手(済美高)を引き当てた。
一方、運に見放されることが目立つのは、なぜか実績十分の指揮官たちだ。10年にはオリックス・岡田監督が1位指名で3連敗の珍記録。日本ハム・栗山監督も13年に3連敗の“タイ記録”を樹立。巨人の原監督もくじ引きだけは大の苦手。通算1勝8敗と運がない。
◆平成ドラフトは大物の入団拒否で幕開け
「平成」に元号が変わって最初のドラフト会議は1989年。「巨人希望」を公言していた元木大介内野手(上宮高)はダイエーの外れ1位指名に対して入団を拒否。1年間のハワイ野球留学を選択した。90年の目玉、小池秀郎投手(亜大)には8球団が競合。ロッテが当たりくじを引いたが、小池は「一番避けたかった球団」と入団を拒否した。
【へぇ~】「元祖」は世界のレジェンド
勘違いの元祖は、実は真中監督ではない。2005年の高校生ドラフトでは、巨人とオリックスが辻内崇伸投手(大阪桐蔭高)を入札し、抽選でオリックス・中村GMが当たりクジと勘違い。その後、同じく1巡目で日本ハムとソフトバンクが指名した陽仲寿内野手(福岡第一高、現陽岱鋼)の抽選で今度はソフトバンク・王監督が勘違い。巨人、日本ハムが主催者側に抗議。辻内の交渉権は巨人、陽の交渉権は日本ハムが獲得した。
陽の抽選でクジを引いたのは、ソフトバンクが王監督で日本ハムはヒルマン監督。日本語の分からないヒルマン監督はガッツポーズの王監督を見て外れたと思い込み、球団テーブルに戻ったところで高田GMが確認して当たりクジと判明。ソフトバンクが意中の球団だった陽は喜びのあまり号泣したが、勘違いが判明するとぼうぜん。しかし、気を取り直し「指名されてうれしいことに変わりはない」と日本ハムに入団した。
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