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1球も投げなかった令和の怪物佐々木を間近で見て、勇気と希望が湧いた東北へのセンチメンタルジャーニー(心の旅)

2019年7月24日 15時59分

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 よし、佐々木を見に行こうー。21日の高校野球の岩手県予選の盛岡四戦で194球を投げ、自らの決勝弾で準々決勝へ駒を進めた大船渡の最速163キロ男、佐々木朗希のニュースを聞いた瞬間、私はそう決めた。22日の久慈戦で連投となれば、ボロボロに違いない。この夏、令和の怪物は見おさめになる。そんな予感がした。いや、私が持ってる男なら最速更新が見られるかもしれない。そこに、とんでもないドラマがあるかもしれない。そんな妄想も抱いた。

 朝の5時に起きて、盛岡行きの東北新幹線に飛び乗った。ちっとも眠くはなかった。新幹線の窓から見えるどんよりとした空を見上げながら物思いにふけった。東北を襲った2011年の3月11日の大地震。佐々木は父と祖父母を失った。当時、小3だった。もし、3・11がなくて、父や祖父母が生きていたら、どうだろう。とても、誇らしく思うことだろう。それを思うと、切なく、この世の不条理を感じずにいられなかった。3・11が憎い。

 盛岡まで一睡もしなかった。まだ、9時。試合開始は昼すぎ。気分を盛り上げるため、駅で盛岡名物じゃじゃめんをかき込んだ。そして、タクシーを拾い、県営球場と告げた。
 「お客さん、どこから?」
 東京です

 「好きだねえ。わざわざ、東京から」
 実は、取材なんです。大船渡の佐々木見に(なぜか、自分事のように自慢げに)
 「エっ!? 佐々木、今日も投げるかね?連投はきついでしょ?」
 エーーっ。投げない可能性ありますか? 投げなかったら私は単なる間抜けな記者になっちゃいますが? 大丈夫ですか、私!?(ブツブツブツ)

 「あははは。いや、記者さんが投げると思ったんだから、きっと、投げるよ。大丈夫」
 70がらみの運転手さんは全く根拠のない太鼓判で慰めてくれた。東北の人は優しいなあ。聞けば、秋田出身ということだった。球場に着き、財布の小銭を探しながら「秋田と言えば落合博満ですね。落合好きですか?」と聞くと「好きだねえ。ふてぶてしさがなんとも言えない。選手でも監督でも結果出してるしねえ」と言いながら振り返った。しわだらけの顔がとても誇らしげだった。

 それにしても。佐々木は投げないかもしれない。そんな分かりきった可能性を今さらながらに気づき私はがくぜんとした。いやいや、もし、温存したら、甲子園への道は閉ざされてしまうし、佐々木の夏も終わってしまう。万難を排し、満身創痍(そうい)でマウンドに立つ。そこに、予想だにしないドラマが待っている。私は持ってる記者になる。自分の都合の良いように言い聞かせた。

 そして、試合前のメンバー発表。佐々木は先発から外れていた。代わって、マウンドに立つのは、大和田健人。佐々木より、30センチ低い160センチの小柄な右腕。あまりのギャップに変わり身の早い私は人間・大和田に興味が引かれた。怪物の陰に隠れた、小さな大投手を書くのも面白い。そう思い直して一眼レフを構えてネット裏に陣取った。

 大和田の快投が始まった。小気味の良いピッチングで5回までパーフェクト。しかし、私はいつの間にかベンチの佐々木にくぎ付けになった。さながら、佐々木劇場だ。熱いのだ。それが、ハンパないほどに。ベンチで絶叫している。ド派手なアクションでナインを鼓舞する。そればかりじゃない。攻守交代時は、守備につく選手にグラブと水を渡す雑用までこなす。極め付きはピンチを切り抜けたナインをベンチ前でハイタッチで出迎える儀式の時だ。佐々木はハッと気付いたような顔をしてその列から離れて小走りにネクスバッターズサークル付近に走って行った。おいおい、佐々木よ、どこへ行く? で、何をしたかと言うと、先頭打者の及川捕手が取り外したキャッチャー防具一式をかいがいしく片付け始めたのだ。おい、それは、控えの下級生の役目だろう。思わず突っ込みたくなった。それから、慌ててシャッターを切ったため、めっちゃピンボケとなった。孤高のエース。勝手にそんなイメージを持っていたが、真面目でひたむきで、純粋で、謙虚で頼りがいのある男ではないのか。中学時代の佐々木は有名野球校にスカウトされたが、中学時代の仲間と甲子園に行きたいと大船渡へ進学した。それが、佐々木の人間性を表す逸話のような気もした。夢のある話だ。リアル・フィールド・オブ・ドリームスがそこにあった。結局、この日も大船渡は連日の延長戦を制し、準決勝に進んだ。私は最速更新どころか、佐々木の球を1球も見ることができなかった。

 「ローキ君の囲みやります」。試合後、大会関係者が報道陣に声をかけた。ローキって、誰?私は思わず、小声で口走ってしまった。四方から冷たい視線を感じた。佐々木は姓ではなく、朗希と名前で呼ばれていた。新鮮な驚きだった。愛されているのだ。朗らかな希望か。良い名前じゃないか。居たたまれない空気の中、私は自分の殻に閉じこもった。囲み会見が始まった。お立ち台の後ろに陣取り、大きな背中を見上げた。何か聞こうとしたが、持病の急性人見知り病を発症してしまった。でも、やみくもに質問するばかりが仕事じゃない。見て感じるのも記者の仕事だ。自分の都合の良いように解釈してやりとりに耳を傾けた。会見の後、目の前を通り過ぎた佐々木の目を見た。まっすぐで、ピュアな目だった。

 夕方、帰りの盛岡駅。佐々木に密着するマスコミ関係者と焼き肉屋に寄った。名物の冷麺でも食べて、雰囲気を楽しもうという算段だ。生ビールをクビリとやった後、その関係者の問わず語りのなにげないつぶやきが心に響いた。
 「直接、本人に聞いたわけじゃないですけど。3・11の悲しみを忘れるために、父代わりの兄と一心不乱に野球に打ち込んだ結果が、今の朗希君かもしれないと。そう思うのです」。ハッとした。鈍感な私の想像力はそこまで思い至らなかった。3・11がなかったらという問い掛けはやぼだった。人間はとても乗りこえられないような深い悲しみさえ、生きる力に変えられる生きものなのだ。大事なことはそこだった。そう考えると、わけもなく勇気と希望が湧いた。佐々木はそのシンボルのような気がした。剛速球は1球もみれなかった間抜けな記者なのに気分は最高だった。いつも、生ビール1杯でできあがる私には珍しく2杯目のハイボールまでいただいた。新幹線の中で熟睡だった。そして、大宮で目覚めた。あれは、現実だったのか夢だったのか。区別がつかない、不思議な感覚にとらわれた、東北への心の旅だった―。
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